野村雅夫 フィルム探偵捜査手帳

知らないというより、知らされていない ~誰も知らない基地のこと~

河原尚子 「茶」が在る景色

間を読む

小林哲朗 モトクラ!ディスカバリー

夜の公園遊具

ミホシ 空間と耽美

格子と鉄線と庭遊び

インタビュー アサダワタル さん

(聞き手・進行 牧尾晴喜)

常編集家としてさまざまな文化プロジェクトの構想・演出に携わり、近年は自宅の一部を他者に開放する「住み開き」の提唱者としても注目されているアサダワタルさん。彼に、住み開きの概念やその可能性についてうかがった。

-------アサダさんの著書『住み開き: 家から始めるコミュニティ』が刊行されました。自宅の一部を博物館やギャラリー、劇場、地域サロンにしていたり、廃工場や元店舗を改装してシェア生活している例など、ユニークな「住み開き」の実践例が紹介されています。まずは、この住み開きという概念を提唱されるようになったきっかけを教えてください。
アサダ: 2006年から2010年に大阪の南森町で『208』というプロジェクトをしていました。文字通りマンションの208号室で、映像をつくっていたり、ライターだったり、百貨店のバイヤーだったり、といったクリエイター系の友人たちとの共同作業スペースとして使っていました。と言っても、特別な改装などもしていない、靴を脱いであがる普通の家です。それが6人くらいのシェアオフィスで、全員がカギをもっていて、好きに使っていいんです。便利な場所なので、宝塚や京都から来ていたメンバーは泊まって帰ったりもしました。オフィスと言うより、シェアハウスあるいはセカンドハウスといった感じに近かったかもしれません。そして、自分たちが使うだけじゃなく、月に一度、興味があるひとを呼んでトークイベントや、ホームパーティのようなことを欠かさずやっていました。この当時の感覚が、すごく面白いとおもったんです。
 ぼく自身は、市などの行政から仕事を受けてNPOをつくり、文化政策的な仕事もしていました。いわゆるライブハウスのような場所や、映画館、カフェでイベントをやっていたんです。パブリックで、ひとが当然にお金をはらって動く場です。こういう場所では、ひとが集まってくると、場が開いていて当然なんですよね。前提として、お客さん、出演者、運営者、となっている。でも、『208』で体験したのは、プライベートで生活感のある場所でも、何か面白い出来事を起こせるのだということでした。集まってくるひとたちも、そういうチャンネルと感覚を持っていたんです。この動き自体をきちんと言葉にして、そういう世界を体験していないひとにも伝えることができたら、おもしろいコミュニティや表現活動がはじまるのではないかと考えました。『208』自体は大家さんの都合でやめることになったんですが、あれが「住み開き」提唱のきっかけでした。

------シェアオフィスのようなクリエイター関係の集まりが住み開き提唱のきっかけとのことですが、新刊で取りあげられている事例をみると、住み開きの概念は拡張していますね。
アサダ: イベントなどを通じて、新聞やテレビといったメディアで取りあげられたのが大きかったですね。「住み開き」という言葉に反応して、何かやってみたいとコンタクトを取ってきてくれた方が、ぼくとはまったく違うバックグラウンドの方だったりして、ぼくも驚いたんです。たとえば、自宅兼写真館の『千代さんの家』や元酒屋だった『小島商店』は、街に開いた場づくりをしていきたい、といったことを漠然と考えておられて、住み開きという文脈があるということで安心して開きだしたケースです。さらにそれに反応して、高齢者の空き住宅をどうするか、といった相談もはいってきたりしました。最初は、いわゆる表現活動、美術・音楽といったクリエイターの話だったのが、受け取る側の拡大解釈で広がっていきつつありました。ぼく自身のスタンスとしても悩みましたが、当初の概念にこだわるよりも、様々なコミュニティ同士が出会うきかっけも作れるし、"実"を取って、住み開きという概念をどんどん使ってもらうことにしました。
 社会的に限定するより、仕事、活動、年齢、地域などの幅を広げたほうが面白くなるかと考えて、書籍化にあたってはさまざまなケースを取りあげています。

------大阪・東京を中心に、青森や岡山、京都など全国31の事例を取材されています。事例を見つけてくるのが大変そうですが、どのように?
アサダ: ひとつは口コミで、知り合いの知り合いというケース。もうひとつは、東京で、街づくり研究者、アーティスト、編集者といった知人で円卓会議のように集まり、住み開きのネタを出し合ったんです。全員がネタを3つくらいずつ持ちよって。ネタを出すこと自体をイベントにしたんですね(笑)。それで、ベースとなる事例が揃いました。
 最初は苦労もありましたが、住み開きという言葉があるていどの市民権をえると、こういう事例があるよ、と言ってくれるひとが増えました。特に取材をはじめた2009年以降は、ソーシャルメディア、たとえばtwitterやfacebookで情報がすごく入り易くなってきた時期ですから。住み開きに関しても、入ってくる情報すべてを追えないくらいになってきて、情報の入り方が変わってきたのを実感しました。

------昨年の東日本大震災のときには、被災者や帰宅困難者にオフィスや自宅を一時的に開放しているケースもみられました。
アサダ: ぼく自身も「住み開き」を提唱している立場として考え方が変わりましたし、まわりの意識も変わりました。以前ほど特別なものじゃなくなった気がします。「そんなこと意味あるの?」「防犯とか大丈夫なの?」といった意見が多かったのが、震災後には「それもひとつの方法だね」という状況に徐々に変わるのが感じられました。集まる場をいろいろなひとで作りあげていくことが、すこしは一般的な行為になりえてきた。わざわざ珍しいものとして捉えていた時から、いまはより実践的にこの概念を使ってもらおうという意識になった感じです。

------本の帯には「住み開きのコツを伝授する!」とありますね。
アサダ: ぼくとしては必ずしもコツを伝授しようというノリではないんですが、まあ、出版社的に分かり易さを狙っているというか(笑)。騒音には気をつけたほうがいいとか、お金をかけずに気軽に始めるほうが続きやすいだとか、アドバイスとして気をつけるポイントなんかも書いてはいますが、ルールはないんですよね。結局はその人自身がどう考えるかだし、あなたの家だからあなたの好きにすればいい、ということ。
 会社で働いたり、お店に行ったり、社会のそれぞれの場所にルールがあります。でも、自分でルールをつくってひとに来てもらうことって、あまりないとおもいます。「ここではあなたの好きな時間に好きなルールで好きな感覚でやったらいい」と言われるとかえって戸惑う方もおられますが、自分の空間や感覚をひとに共有してもらって場をつくること、それを考えること自体を面白いと思えるかどうか、でしょうね。時間がかかりますが、そこに社会性が加わるとさらに面白い。

------自分で住み開きをしなくても、住み開きをしている場所に行くという体験方法もありますよね。
アサダ: そうですね。ちょっと抽象的になりますが、住み開きの提唱は、コミュニティをつくるためにやるという社会的な意味合いだけでなく、その人自身の日常生活に対する気の持ち方や意識を変えるという、個人の発想転換も大事だと考えています。
 たとえ自分で住み開きを実践しなくても、住み開きを知ったり体験したりして、次の日からちょっと意識が変わり、世の中がすこし変わるとおもう。つながり、集う、ということだけでなく、個人の生活感・日常観が変われば、働き方も変わるし、そこに可能性があります。

------「コミュニティ」という言葉に関連して。新刊の副題にも使われていますが、ここでは「懐かしい地域共同体の復活」のような文脈ではないですよね。どちらかと言うと、三浦展さんの「共異体」の概念に近い。
アサダ: 「共異体」は、ぼくもすごく好きな言葉です。「コミュニティ」という言葉をつかうと、とくに震災後の「つながり」や「きずな」という文脈で使われるときは「地域共同体」とニアリーイコールの場合が圧倒的に多いですよね。ぼくは、それは危険だなとおもっている方で、住み開きの話では、もっと広い意味をこめて「コミュニティ」と使っています。
 住み開きをしている主役の個人も、いろんなコミュニティに属しているはずです。地域、会社や大学、趣味、インターネット、たとえばtwitterやfacebookでつながっている友達とリアルで会ってみたり、家族というコミュニティもあります。その人を軸にして、それらのコミュニティを編集できるはず。ぼくとしては、コミュニティという言葉とともに、地縁、社縁、血縁、友達の縁、活動の縁、などをまぜあわせるための場として家がつかわれるのが、住み開きのいいところだと考えています。
 異なるひとたちが異なる価値観をぶつかりあわせながら、こういう働き方、考え方の人がいるのだ、と互いに気づいていけるように努力して開いていく。別に仲良くならなくても、同じ場、時間を共有していくということですね。

------アサダさん個人の話をお聞かせいただきます。肩書きで挙げておられる「日常の再編集」とは?
アサダ: 日常生活での立場、価値観、地域、分野、などが異なるいろんな人たちに関心をもってもらうために、対象への入口をどう組み替えて見せるか。媒体はいろいろありますが、そういうコンセプトを日常再編集と言っています。日常を素材にして、音楽のようにリミックスしている感じですね。
 ぼく自身は音楽をやってきて、音を素材にリミックスして、ライブをします。音楽だけじゃなく、音楽を聴いてもらう場づくりやイベントの場づくりにも関心が広がりました。いろんなタイプのひとが居合わせる場を編集していくときに、誰をどこに、時間軸と場所自体をどう配置すると化学反応が起きるか。そういうことを仕事としてやっていくと、街づくりや都市計画の文脈にもつながっていきました。
 たとえば、文化事業の仕事に関連して、新世界や西成の街にでて、生活保護をうけていたり日雇い労働をしているおっちゃんたちや、肢体に障害のあるひとたちと一緒に紙芝居や詩の朗読やライブ演奏をしたことがあります。金銭面、表現者としての自覚の有無など、継続する上での様々な課題はありますが、生々しくてとても面白いものでした。作品やパフォーマンスそのものも大事なんですが、同時に、それが置かれる環境、美術館なのか街中なのか、あるいはまた別の場所なのか、といったことも大事です。芸術と日常のあわい、つまり境界線がなくなっていくような感覚ですね。住み開きもその延長線上にあるんです。

------子どものころはどんな感じでしたか?
アサダ: 音楽は好きでしたね。小中時代は弾けもしないギターやキーボードを適当に弾いたりして遊んだりしていたら、高校から結局ドラムを演ることになって結局いまもずっとステージに立ってますしね。あと、これもまたいまもそうですが、友達関係でいえば、「つるむ」のが苦手なほうでした。いろんな人と会ってその時どきで何かをするんですが、よくも悪くも自分にホームはない。誰とでも仲良くなるけれど、違う価値観のひとたちとその都度に何かをやっていくほうが向いている感じです。だから、ひとつのグループでつるんでいく、クラブ活動なんかは続かなかったですね(笑)。基本的に個人主義。大好きな友人ももちろんいたけど一人遊びがまったく苦にならない。そういう子ども時代でした。

------今後のビジョンをおしえてください。
アサダ: さまざまな表現や価値観同士をつなげて、俯瞰して編んでいこうとすると、自分自身がどこかの分野・ジャンルの活動に引っ張られていきそうになるときがあります。そこをなんとかすり抜けつつ、常に何かと何かの際(きわ)を見つけて、その狭間に立って表現し続けることの困難について改めて考えさせられてます。何かに所属し、何かひとつの確固たるルールや価値観に「これだ」とすがって生きていければ、その方がいろいろ楽になれるんでしょうけど、それが僕にはできない(笑)。この「あわい」の立ち位置だからこそ何が言えるのか、何かできるのか、その先に何があるかを考えて、続けていきたいですね。
 あとは、文章を書くだけでなく、よりライブ感のあるメディア、たとえばラジオなどとも深くかかわっていきたいですね。音楽活動というつながりもありますが、単純に昔からラジオが好きだったので。この記事を見ている人でラジオ関係者の方がいたら、ぜひパーソナリティーとして誘ってください(笑)。
 それと具体的ですが、今年の6月から岩手県大槌町にて文化芸術という視点で復興を考える人材育成塾「ひょっこりひょうたん塾」の監修を務めています。地元の方々、ゲストの方々、色々と共に勉強できる場を作り出しますのでどうぞ大槌町へお越し下さい。合宿希望者受付中です。そして最後に、7月中旬から8月中旬まで一ヶ月、大阪のArtCourtGalleryにて毎年開催している企画展「ArtCourtFrontier」に出展します。僕は美術家ではないのですが、縁がありお誘いをいただいたので、音楽を日常再編集という視点で遊んでみる展示にできればと準備中です。こちらもぜひ。



2012年5月2日 大阪にて

千代の家【大阪・福島区・海老江】
写真アルバム作りへの思いを語るチヨさん。
老若男女が集い聞き入る。
 
物々交換デザイン シカトキノコ【大阪・東成区・鶴橋】
デザインを軸に地域の様々なイベントに面白いアイデアを仕掛けていく藤田ツキトさんの住み開き。記念すべきオープンの日に沢山の人が集う。
 
パブエンジェルズ【東京・江東区・南砂町】
元ビデオレンタル屋とカラオケボックスを改装した、クリエイターたちのシェアハウス。
 
澤田さんの家【東京・文京区・根津】
子どもの日は路地裏おもちゃ交換市。
地域に開かれる子育て。木造長屋の住み開き。
 
(撮影:佐々木遊)

アサダ ワタル
1979年大阪生まれ。日常編集家。音楽と文筆とコミュニティ演出を軸に、日常と非日常のあわい、分野と分野の狭間、土地と土地の際に立つことから生まれる表現活動を継続。
 2002年、バンド越後屋のドラマーとして、くるり主宰レーベル「NMR」からCDリリース以降、ソロ名義である大和川レコード、ユニットSJQ(HEADZ/cubicmusic)にてライブやCM・映画での演奏、国内外でのCDリリース多数。表現活動を"音"から"場/事"に拡張し、遊休施設や寺院、住居や店舗などを活用したコミュニティスペースの演出にも関わってきた。
 近年は自宅の一部を他者に開放する「住み開き」を提唱。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『編集進化論 editするのは誰か?』、『クリエイティブ・コミュニティ・デザイン』(共にフィルムアート社/共著)などがある。神戸女学院キャリアデザインプログラム非常勤講師。

知らないというより、知らされていない ~誰も知らない基地のこと~

あ、私だ。『誰も知らない基地のこと』について、私は誰も知らないうちから知っていた。どうだい、フィルム探偵らしいだろう? まあ、たまにはね。
 2007年にイタリアの世界遺産都市ヴィチェンツァで起きた米軍基地拡大への反対運動をきっかけに、イタリアのふたりの若者が、自国だけでなく、沖縄普天間やインド洋のディエゴ・ガルシアなど、世界中に散らばる基地の典型をいくつか取材し、さらにはノーム・チョムスキーを始めとするアメリカの論客たちにインタビューを実施。それら素材を鮮やかな手つきでチャプター形式に構成してみせた、米軍とその背後で肥大化する軍産複合体の実像を探るドキュメンタリーだ。
 2010年春、私は作品の存在を知る。なぜか。実は、主宰するドーナッツクラブのメンバーが、日本語字幕や沖縄部分の作業に関わっており、製作者が日本での配給なりDVD化なりを検討する過程で、私にも相談があったのだ。鳩山首相の「最低でも県外」発言を受けて国内が紛糾していた頃の話だ。「ウチも配給めいたことはやっているが、既存の会社のほうがよりスピーディーかつ広範囲に作品を届けられるだろうし、その価値のある作品だ」として、私は日本で公開されるならその後方支援に回りたいと回答した。
 あれから2年。何の音沙汰もなく、「こんなことなら、たとえ規模が小さくとも僕らでやっておけば良かった」と後悔していた頃、ようやく吉報が届いた。日本での全国ロードーショーが決まったというのだ。折しも沖縄返還40周年。機は熟したし、内容は古びていない。
 ブッシュからオバマへの、歴史的政権交代の影で、実は軍事費は増え続けているというカウンターパンチで幕を開けるこの作品は、私たちが「知らない」というより「知らされていない」情報を整理整頓して提示してくれる。戦争のためにあったはずの基地が、基地を維持するために戦争が起こるという転換の構図。世界のどこにあろうと、基地内部はアメリカ村で、軍人たちは現地の事情には無頓着である様子。観終えた後には、知ってしまった基地のことを「知らない」では済まされなくなるだろう。本土側の無関心が沖縄の人々の被差別意識に拍車をかけていると報じられている。監督たちは、「現状を変えるのは住民の抵抗である」と述べていることを最後に付け加えておきたい。

(c)Effendemfilm and Takae Films

誰も知らない基地のこと
全国順次公開中
監督:エンリコ・パレンティ、トーマス・ファツィ

2010年/イタリア/1時間14分/カラー/ビスタサイズ/ステレオ
提供:メダリオンメディア 配給:アンプラグド

参考コラム(ドーナッツクラブのブログ該当記事)

野村雅夫(のむら・まさお)
ラジオDJ。翻訳家
FM802でROCK KIDS 802(毎週月曜日21-24時)を担当。知的好奇心の輪を広げる企画集団「大阪ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳も手がける。

間を読む

が良い。
間が悪い。
間を読む。

日本語には とかく「間」に関する言葉が多い。
間とは 「空白」という意味だけでは 語りつくせない隙間である。

例えば 落語。
人を引き込むのは 饒舌に笑いが渦巻く時ではなく
話さずして語っているその「沈黙」の時間だと思う。
ふと故意につくられたその静寂に 人は強い力で引き込まれる。

例えば 寺。
「何か」を見ているようで
知らぬうちにその地と図が反転し その表面に現れるリズムを見ている。
その空の形は 人の知が介在した建造物と
草木が枝葉をのばした自然の隙間。
その意図と偶然の間。

例えば 人付き合い。
息の合う人もいれば だれしもそうでない人もいる訳で
そういう場合はたいてい 間があわないのだ。

もてなす側ももてなされる側も
その「時間」に合わせて全身全霊で挑むようなもの。
その両者のタイミングのズレが たまに嫌悪だったり
本当の深い感動を呼ぶ事がある。

生きているってそういう事だと思う。

河原尚子(かわはら・しょうこ)
陶磁器デザイナー/陶板画作家
京都にて窯元「真葛焼」に生まれる。
佐賀有田での修行を経て陶板画家として活動を開始。
2009年、Springshow Co.,Ltdを設立。同年、陶磁器ブランド「sione」を発表。

夜の公園遊具

っそりと静まり返った夜の公園は、昼間の爽やかさとは逆に不気味な雰囲気を漂わせる事もある。特に古めかしい遊具があると一層おどろおどろしさを引き立てる。何層かに塗られたペンキが落ち毒々しい色合いをみせ、さらに外壁が剥がれていたりするこの遊具はなかなかホラーな質感。最近の新しい公園に設置されているプラスチック製の遊具には出せない質感だ。

小林哲朗(こばやし・てつろう)
写真家
廃墟、工場、地下、巨大建造物など身近に潜む異空間を主に撮影。廃墟ディスカバリー 他3 冊の写真集を出版。

格子と鉄線と庭遊び

麗な水滴を零すのは勿体ないわ


走梅雨が続く朝、お嬢さんは浴衣のまま庭の鉄線の前にいた。
見頃の鉄線は格子に絡む枝に艶があり私の好きな花のひとつである。

お嬢さんの庭遊びは一風変わっていて、雨粒や水やりの水滴を舐めとるという不思議なものである。
鉄線の花弁から水滴を舐めとり少し悦が入った微笑みでおはようございます、と私に会釈した。

垂直な格子に反して不規則なラインで絡み付く確りとした枝と、花弁にはやわらかな舌、そして異質な形と感覚とが混ざるリアル。
私は熱を帯び頭がぼうっとした。まだ夏は先だというのに。



ミホシ
イラストレーター
岡山県生まれ、京都市在住。イラストレーターとして京都を拠点に活動中。
抒情的なイラストを中心に、紙媒体・モバイルコンテンツなどのイラスト制作に携わる。

第1回

 講談師
 旭堂南陽

第2回

 フォトグラファー
 東野翠れん

第3回

 同時通訳者
 関谷英里子

第4回

 働き方研究家
 西村佳哲

第5回

 編集者
 藤本智士

第6回

 日常編集家
 アサダワタル

第7回

 建築家ユニット
 studio velocity

第8回

 劇作家/小説家
 本谷有希子

第9回

 アーティスト
 林ナツミ

第10回

 プロデューサー
 山納洋

第11回

 インテリアデザイナー
 玉井恵里子

第12回

 ライティングデザイナー
 家元あき

カバーインタビュー: 聞き手・進行 牧尾晴喜

連載1: 野村雅夫 フィルム探偵捜査手帳

連載2: 河原尚子 「茶」が在る景色

連載3: 小林哲朗 モトクラ!ディスカバリー

連載4: ミホシ 空間と耽美

第1回

 建築家
 藤本壮介

第2回

 書容設計家
 羽良多平吉

第3回

 漫画家
 羽海野チカ

第4回

 小説家
 有川浩

第5回

 作庭家
 小川勝章

第6回

 宇宙飛行士
 山崎直子

第7回

 都市計画家
 佐藤滋

第8回

 作家
 小林エリカ

第9回

 歌手
 クレモンティーヌ

第10回

 建築史家
 橋爪紳也

第11回

 女優
 藤谷文子

第12回

 ラッパー
 ガクエムシー

カバーインタビュー: 聞き手・進行 牧尾晴喜

連載1: 野村雅夫 フィルム探偵の捜査手帳

連載2: 澤村斉美 12の季節のための短歌

連載3: 小林哲朗 モトクラ!ディスカバリー

第1回

 イラストレーター
 中村佑介

第2回

 書家
 華雪

第3回

 華道家
 笹岡隆甫

第4回

 小説家
 森見登美彦

第5回

 光の切り絵作家
 酒井敦美

第6回

 漫画家
 石川雅之

第7回

 ギタリスト
 押尾コータロー

第8回

 プロダクトデザイナー
 喜多俊之

第9回

 芸妓/シンガー
 真箏/MAKOTO

第10回

 写真家
 梅佳代

第11回

 歌人
 黒瀬珂瀾

第12回

 演出家
 ウォーリー木下
   

カバーインタビュー: 聞き手・進行 牧尾晴喜

連載1: きむいっきょん(金益見) ラブ!なこの世で街歩き

連載2:  野村雅夫式「映画構造計画書」

連載3: 【連載小説】 ハウスソムリエ 寒竹泉美