連載 第12回 2007年3月号

回り続ける世界のカケラ! 〜最終回・都市における居場所〜



この「世界のカケラ・コラム」のライターに、共通していることがあります。
それは、各都市で「外国人」として生活していることです。

そして、今回のテーマは「居場所」です。

都市空間、そして社会的要素に関しても流動化・巨大化が進む現在、個々人として、居心地のよい「居場所」を見つけることは困難になっています。
人生において最も大切なものになりうる「居場所」を確保するためには、確固たる矜持と、しなやかな感性、その両方が要求される時代なのかもしれません。

一巡したコラム最終回で、世界都市における人の居場所を考えてみます。お楽しみください


一級建築士事務所 スタジオOJMM
代表 牧尾晴喜



インド(へ)の道


豊山亜希
インド
ムンバイー
(旧名ボンベイ)

ムンバイー名物、交通渋滞。ただし車やバイクやオートリキシャーの間に、動物がちらほら混じり、インドらしさ満開である。筆頭は野良犬だが、運搬用の牛や象や駱駝、さらには婚礼用の馬(インドでは、新郎が新婦宅に騎馬で迎えに行く習わしがある)を見かけることもある。また信号待ちの交差点ともなれば、乞食と物売りの絶好の商売ポイントとなり、その光景はまさしくカオスである。
ところで道交法では、車両間の追い越しが許容されている。「車と動物は速度が異なり、追い越しを禁止したら大渋滞を招く」との理由らしい。日本人なら、動物専用道路を建設しそうなものだが、実に動物と人間の距離が近いインドならではの発想である。
その一方で、乞食や物売りたちが路上で垣間見せる、人間同士の階層差もまた、インドならではである。例えば、私の周囲には少なからず「クルカルニー」姓の知り合いがいるが、「ル」の綴りによって身分が違い、異なるクルカルニーが結婚することはないというほど、人間同士の距離感は厳格である。
人間は自然の一部にすぎないが、その中に格差が存在する。ムンバイーに暮らして半年、インドの道はその摩訶不思議さを増す一方である。



異邦人の高みの見物


野村雅夫
イタリア
ローマ
大阪ドーナッツクラブ

都市の周縁には社会の周縁がある。生粋のローマっ子、イタリア人、ロマ族、フランス人、レバノン人、ルーマニア人、アフリカ系の黒人、中国人、韓国人。ご近所に住む人たちを思いつくまま挙げてみると、こういった顔ぶれになる。そして世界のカケラを拾っては磨き続けてきた僕は僕で、関西弁で思考しながらローマ弁を語る(あるいは騙る)トリノ系日本人だ。中心部の観光地とは一味違った国際色が僕の住むローマの端っこには存在する。ただし、人種の坩堝たるニューヨークのような濃密な文化的混淆があるのではない。ここにあるのは言わば人種や文化のモザイク画だ。それぞれのカケラは、それぞれのカタチを残しながら周縁部で肩を寄せ合っている。世界のどこにいようと異邦人たる僕にとって、そんなローマ周縁に見出した居場所は居心地良好だった。イタリア社会の渦中から適度な距離があるのを逆手に取り、冷静な眼で高みの見物としゃれこむことができたのだから…。
連載は今月で終わるけれど、カケラの探求は果てることなく続いていくだろう。弥生は月が旅路を照らそうぞ。読者諸賢の今後の物理的精神的洋行が泰安たることを願いつつ、アッディーオ(Addio)!



毒を食らわば皿まで


澤恵子
ガーナ
アクラ
物に溢れる日本から、異なる価値観を求めて渡ったアフリカ。しかし、私は暮し始めてすぐに他の先進国と同じように物質主義に占領されているガーナを知り、正直落胆した。アフリカには今までの世界の想像を超える考え方があるのではないか、長い間そう信じ、また願っていたのに。
確かに初めて出会う感覚や、忘れかけていた大切な何かを取り戻したことも多い。だが、グローバリゼーションは水道のない村にも確実にやって来ており、それと同時に物質主義社会もやって来た。アフリカだけ発展しないまま、どこからも邪魔されず伝統的社会を守る今のままでいて欲しい等という私の先進諸国的なエゴはやはり達成されるはずもなかった。人々は自動車やテレビ、ノートパソコンを欲しがり、都市は出稼ぎ労働者で溢れ、田舎は砂漠化が広がる。この流れを止める手立てはないのだろうか。
「毒を食らわば皿まで、アフリカはまさにそのような地である」学部時代の教官が最初に語った言葉だ。アフリカという毒を口にしてしまった私は、どうやら一生をかけて皿を食べ尽くさなければならないようだ。



架け橋

橋から見たフランクフルト

ユゴさや香
ドイツ
フランクフルト
「この川を越えると街の中心だよ。」突然の引越。初めてのドイツ。そんな私の不安を助長するように、夕闇が迫る初秋。やっと慣れてきたフランスの田舎町から最低限の荷物を詰め、車で13時間。マイン河にかかる橋を渡り、金融都市フランクフルトに到着。心許なく窓の外を見れば、藍色に暮れゆく空に高層ビルが立ち上る。思えばこれが私とこの街との出会いだ。
あれから4年。何度この風景を見た事だろう。緊張しながら語学学校の申込みに行った時。初めてできた友達と拙いドイツ語で話しながら散歩した時。思い切って申し込んだバイトの面接に行った時。大勢のクラスメイトと野外活動をした時。真夜中、陣痛に耐えながら川向こうの産院に行った時。友人とおしゃべりしながらランチに行った時。
橋を越える度、街がだんだん近くに見えてくる。沢山の出会いが、街との距離を縮めてくれる。縁もゆかりもなかったこの街で、一人また一人と知り合いが増えていく。川に橋を渡すように少しずつ輪が広がって、いつしか素敵な人たちが集まっている。そんな自分に気付く時、あんなに遠くに見えた街が「私の町」になっていた。この町で築いた人との繋がり、それこそ私の今の居場所だ。



かわらないもの


寺西悦子
オーストラリア
ブリスベン
♪Air Mail from Brisbane♪
ブリスベンに暮らして約1年。いろんな出会い、経験を通して、人生が豊かになっていくことを実感しながら、自分自身を見つめる。いろんなモノと出会うことで、世界は果てしなく広がっていく。ブリスベンが多様なように、それぞれの世界にも多様な価値観がある。自分の居場所とは、こんな多様な人や自然との出会いの中にあるのだと思う。そして、今後の自分の居場所も、こうしていろんなモノとの出会い、ふれあいを通して、自分自身の存在を確認し、その関係の中に、自分の居場所を見出していくことになるのだろう。
世界のカケラコラムのように、一つ一つのカケラが集まって、多彩な一つの作品が出来上がる。私自身も、そんな多彩な一つの生き物でありたいと願う。物理的な居場所は変わっても、世界中ではいろんなことが起きていても、精神的な居場所とは、そう簡単に変化するものではなく、不変であるのだと、感じるのである。ブリスベン生活2年目はどんな出会いが待っているのか、楽しみだなぁ。




木の芽、吹くころ


松野早恵
オランダ
ユトレヒト
風を水に放す
目覚めたとき、窓の向こうは薄明るく、中庭から鳥のさえずりが聞こえる。体を起こしながら、気がつく。季節がゆっくり一巡したのだと。冬の間、夜の闇は自分の場所を無音のまま、億劫そうな様子で朝に譲ったものだ。今は日毎に夜明けが早くなり、樹木の冬芽から緑の葉が顔をのぞかせる(写真)。
この一年、ユトレヒトとアムステルダムで過ごす日常について綴った。連載開始前は日々の雑感を書き留めることすらしなかったけれど、執筆の機会が与えられてから、私は身の回りの風景や友人たちの生き方を見つめ直すようになった。電車の中で、あるいは町を歩きながら、コラムについて考えたことを思い出す。そして、毎月原稿を送るたびにオランダと自分の心の結びつきが強くなったことも。小説家フィッツジェラルドは人生を「絶えず過去へと押し戻されながら、未来という灯火に向かって前進するボート」にたとえた。思うに、「灯火」はただ前方だけで光るのではなく、後方で過去の軌跡を浮かび上がらせ今後の方向を示してくれるのかもしれない。これまで書いたコラムが小さな指標となり、私(そして、読者の皆さん)の心に点灯し続けることを願っている。




Where I belong


Simon Nettle
日本
大阪
My Amazing Life
This month's topic “Where you belong / 居場所” is an interesting question, and one that is also incredibly difficult to answer. Pondering it, one begins to realise that it's a question rarely asked of oneself, for the very reason that to do so immediately brings to one's attention how utterly displaced one is, that one doesn't really have a place that can be called “home”, either in the sense of a physical location, or even a philosophical or religious sanctuary.
My friends and family are dispersed around the globe, my current occupation involves working via correspondence for companies overseas, and the likelihood that I will remain for very long in the city I currently reside seems to be decreasing by the day.
One thing about packing up everything and moving to another country is that it makes us thoroughly aware of the psychological changes that occur when our environment changes. I notice that people who have always lived in the same place their entire lives often fantasise about moving to a foreign country; in Australia, it's often that people want to move to the U.K. and they see their future life in the country of choice in an idealised way, where they are free from all the emotional baggage that has accumulated over a lifetime.
Those who have experienced this, however, come to the realisation that no matter where one moves, eventually what was once new will become commonplace, and the problems of the past will eventually catch up to them. This puts a damper on the Christian idea of heaven because despite how good it may be, one would be likely to grow weary of it after a couple of years, and nostalgically yearn for a return to Earth, or for a progression on to something even greater.
Which brings me back to the philosophy that the only happiness is in constant change that despite the comfort afforded by establishing roots, the pain and inevitability of periodically ripping them up forces one into the habit of never allowing them to form.
So, where is it that I belong? At present, it is across the globe and in a state of constant flux. With the lack of any external anchors, the establishment of a core internal identity becomes necessary, a mental sanctuary to which one can take solace despite the external chaos. When one finally realises this, it's actually quite liberating, and reminds me of the time I sat and pondered upon hearing the Buddhist catchphrase "This too will also change".


おわりに

一年間ご愛読いただいた『世界のカケラ・コラム』は、今号が最終回です。

現代社会では、様々な事象でスピードが要求され、流動的でハイブリッドな場が多く存在します。
『世界のカケラ・コラム』では、そうした社会的ハイブリッド性を、空間と関連づけた枠組みで提示してきました。
企画者の生来の性格ゆえに深謀遠慮とは無縁ですが、コラムの一区切りで振り返ってみると、タイトル通り、多くのカケラが集まって一つのカタチをなしたのではないかと考えています。

色々なできごとや区切りがありますが、無数のカケラと出会いをのせて、世界は回り続けます。
もう一つのカケラである読者の皆さんにお楽しみいただけ、また何かのキッカケになったのならば、これほどの幸せはありません。

なお、4月から同枠でスタートするのは、『夢のウラガワ』をテーマとしたコラムです。
異なるジャンルで情熱を注ぐメンバーが、そのバックステージでの話を綴ります。
回り続けるコラムでの、新たな出会いをお楽しみに!



一級建築士事務所 スタジオOJMM
代表 牧尾晴喜


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