連載 第5回 2006年8月号

私たちのドレス・コード、教えます! 〜各都市の人々の服装〜

「人を外見で判断しないのは愚か者である」
と言ったのは、オスカー・ワイルドでした。実際に、服装や身だしなみから、その人の内面に関しても多くのことが分かります。私たちの日常生活を振り返ってみても、気候や、その日の気分、あるいは出かける場所や会う人、といった様々な要素に応じて、「今日はどんな服を着ようか」ということを考えます。勿論、こうした個人のドレス・コードは、その属する社会とも深い関係があるものです。
今回は、各都市の服装を手がかりにしたコラム。「衣食住」三部作の完結編、お楽しみください!

一級建築士事務所 スタジオOJMM
代表 牧尾晴喜



キラキラ☆ポップ:オランダ流色彩コーディネート


松野早恵
オランダ
ユトレヒト
Museum Het Schip
オランダに来た頃、デパートのスカーフ、ネクタイ、タオル売り場などで、色彩グラデーションを用いた商品ディスプレイを見るたびに、私は面食らっていました。私自身の好みは、深みがあって、繊細な中間色。それなのに、強烈なオレンジ色をナショナル・カラーに選ぶお国柄の故か、赤・オレンジ・黄・緑・青・紫と並べられた品々は、どれも明るく、純色に近い色だったのです。
なるほど、街を見回してみると、子供から高齢者まで、皆、大胆に、純色や蛍光色の服、アクセサリーを身につけています。もちろん、黒・白・紺・ベージュ・グレーといった、いわゆる「落ち着いた色」も着こなしの中に取り入れられてはいるのですが、どうも彼らには、それらを「定番」とみなす感覚が余りなく、単に「たくさんある色彩の一つ」と考えているようなのです。
さて、最初は、この「色彩の衝撃」に後ずさりしてしまった私ですが、今では、オランダ流色彩コーディネートを楽しく眺めるようになりました。夏の風に、鮮やかな水色のワンピースが揺れ、冬空の下、レモン色のコート、虹色の毛糸の帽子が映えます。こうした明るい色使いを見ると、四季折々の場面で、心が弾むのを感じます。



服と気候

寺西悦子
オーストラリア
ブリスベン
♪Air Mail from Brisbane♪
ただ今、南半球のオーストラリアは冬本番。温暖な気候のブリスベンも、朝晩はかなり冷える。5度近くまで下がったこともあった。でも、太陽の日差しは強く、晴れた昼間には20度近くまで気温が上がる。気温の差が大きいと着る服に困るわけだが、ここでは、人々が着ている服もさまざまなのである。マフラーに皮ジャケットの紳士が歩く横を、ノースリーブのワンピースにサンダルで歩く女性がすれ違う。ロングコートにブーツを履いている女と共に歩く半パンTシャツ、サンダル姿の男。体感温度で服を着ているだろうか。それとも、ファッションなのか。“季節に合った服”、ではなく、“気候に合った服”を着ているのだろう。町を歩けば、冬服は店頭に並んでいるものの、Tシャツ、ビキニもそのすぐ横で売っている。
広大なオーストラリア。北に行けば、ビーチで海水浴。南にいけば、雪山でスキー。これだけ多様性に富んでいるのだから、いろんな価値観も受け入れられる国なのかもしれない。
それでも私は寒くてニット帽をかぶったりしているのに、半そでで歩いている人とすれ違うと、寒くないのか、この人は?と一瞬目を向けてしまう私。でも、窓の外は雲ひとつない青空。ついつい薄着で出たくなるのだが、意外と空気は冷たいブリスベンなのでした。



肌身離さず鯉のぼり



野村雅夫
イタリア
ローマ
大阪ドーナッツクラブ
7月も半ばに差しかかると、誰もが浮き足立つ。バカンスがやってくるからだ。この時期は休暇前に乗じてどの店もセールをしているので、僕も水着を買いにスポーツ用品店に行ってみた。当然ながら、売り場は大盛況。品定めも一苦労だ。それでも何とかお気に入りの一着を選び、ごったがえす人ごみをかき分けていて、ふと思った。君たち水着を着る前から、ほとんど水着じゃないか! とにかく露出度が異様に高い。気づけば、周囲一帯は裸族の集会といった趣だ。といっても、これは何も局地的な現象ではない。夏のローマは総じて裸族の独壇場である。老いも若きも男も女も、それぞれに肌をさらし、その日焼け具合を自慢の種にする。しかし、肌にはアクセサリーの選択肢が少ない。そこで、タトゥが流行ることになる。どこにどんな柄をいくつ彫るか、若者の関心はその一点にある。日本ならまず銭湯では入店を断られそうなサイズや柄も、イタリアでならごく頻繁にお目にかかる。この間は、小柄でなよっとした、日本でならもやしっ子と呼ばれそうな青年の足に巨大な鯉が泳いでいるのを発見して度肝を抜かれた。何事にも限度というものがある。刺青の入れすぎにはご用心願いたいものだ。



日曜日はおしゃれの日


澤恵子
ガーナ
アクラ
アフリカ大学院留学記
ガーナ人女性は大変おしゃれ。体つきもダイナミックで美しい。そんな美しい体に似合うように作られたアフリカンドレスは派手な柄の布地に、大胆なデザインが特徴。日本のように既製の服はあまり売られておらず、マーケットで布地を選び、1ヤード、2ヤードと自分の体や作りたい服のデザインに合わせて布地を買う。その後は自分のお気に入りの仕立て屋に持って行き、相談しながら絵を描くなどして服のイメージを伝える。必要な体の部分の長さをメジャーで測ってもらい、約1週間で服は完成。ワンピース1着約500円でオーダーメイドの服が出来上がる。
こうして出来上がるアフリカンドレスで着飾る人達を沢山見たいなら日曜日の朝、教会に行くことをお勧めする。礼拝は彼女らが最もおしゃれに力を入れる場。普段はだらしない格好の人達もその時だけは一張羅を着て、アクセサリーをいっぱい身につけ参加する。日曜の朝は着飾った人で町が埋め尽くされ、特別な瞬間になる。
もっとも、最近中国から安い既製服がどんどん輸入されるようになり、西洋風の格好で参加する人が増えてきた。この状況を、アフリカンドレスが大好きな私は少し憂鬱な気分で眺めていたりする。




出すのか、出さないのか、
それが問題

豊山亜希
インド
ムンバイー
(旧名ボンベイ)
インド旅行の注意点で必ず挙がるのが、女性のタンクトップ・ミニスカートは厳禁だということ。インド人女性は基本的に、民族衣装であるサリー(丈短ブラウス+巻きスカート)やシャルワール・カミーズ(ロングブラウス+パンツ)を着ているので、特に地方では肌の露出どころか西洋的な服装自体が目立つ。しかしムンバイーなど大都市を中心に価値観は変化しつつあり、ミニスカート解禁とはいかないまでも、ノースリーブは若年層を中心にかなり市民権を得ている。私が初めてインドに行った8年前、薄着の欧米人女性がインドの陽射で肌を真っ赤にして、好奇とも嫌悪ともつかぬ視線を浴びていたのとは隔世の感がある。
ノースリーブ化の波は民族衣装にも押し寄せているのだから驚く。オーダーメイドでは袖の長さを指定できるし、既製品も袖がついていない状態で売られていて、買うときに縫い付けるかどうか聞いてくれる。旅行の記念とはいえ、日本で着られそうもない民族衣装を仕立てたのも昔の話、今ではチュニックに使いまわせそうなシャルワール・カミーズが豊富に揃い、露出化傾向のうれしい側面ではある(男性のうれしさは別だろうが…)。



肩の力が抜けたおしゃれ!?


ドイツの伝統的衣装を普段着に
取り入れたファッション

ユゴさや香
ドイツ
フランクフルト
レーダーホーゼン。その言葉を初めて知ったのは村上春樹の小説だった。ドイツの伝統的男性用半ズボン。女性はパフスリーブのブラウスにロングスカート。
民族衣装はかわいいのに、現代のドイツはファッション砂漠である。一般的にドイツ人はファッションに対して無頓着。流行は存在しない。若者はジーンズにTシャツ。しかもポッコリお腹の人が多く、ジーンズの上に脂肪のたるみが乗っかっている。若者向けのメーカーで有名なのがH&M。ドイツのブランドではないが、フランクフルトの中心街Zeil通りにはH&Mが3軒も立ち並ぶ。同じ店ばかりでバリエーションに乏しい。個性的に見える人に多いのはゴス系。
おばさん世代になると、質素だがカラフルにはなる。日本では躊躇されがちな派手な色の服も珍しくない。個人的に一番お洒落だと思うのはおばあちゃん世代。普通にレトロな服だが、そのアンティーク調が反ってお洒落に見えるのだ。物を大切にするドイツ人は、古着や手作りの服も多い。
流行に振り回される事がない分、周りを気にせず適当な服を着る事ができるのは嬉しい。だが、日本人にはサイズとデザインの点で納得のいく服をドイツで見つけるのは難しい。



Homogeneity and Uniform


Simon Nettle
日本
大阪
My Amazing Life
I have actually been thinking about clothes recently, which is lucky considering it's this month's topic. One of the major differences between Japan and Australia, or perhaps the difference is between Asia and The Western World, is the emphasis placed on uniform. I don't mean uniform only in the sense of everybody wearing the same thing, but uniform in the sense of having a certain outfit for a certain occasion, that is fairly consistent. From the trains full of スーツ姿の salarymen, to 浴衣 clad girls at summer festivals, the homogeneity in Japan is actually very reassuring and comforting. I think this is the reason traditions form and persist because to experience the expected soothes the soul.
The clothes we wear have a noticeable effect on our moods - who can deny the feeling of power afforded by donning a red cape and blue tights as a child? I certainly can't... (ahem). Ostensibly, I hated having to wear a strict uniform at high school, but these days I yearn for the feeling of purpose it gave.
Japan is big on "the group", and conformity of dress plays a significant role in driving this message deep into the psyche. Initially, I thought this was a bad thing, but the psychological benefits, the feeling of belonging, the ability to truly immerse oneself in a situation, to adopt a slightly different ego depending on the situation and dress, outweigh the supposed stifling of the virtue of self-expression. The older I get, the more I feel individuality is an illusion anyway, or at least, not all that it's cracked up to be.




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