橋本征子 建検ガクガク

#2 駅を、観る。

野村雅夫 フィルム探偵捜査手帳

死と映画の相関関係 ~おみおくりの作法~

寒竹泉美の月めくり本2015

如月本『生きるための料理』 たなかれいこ (著)

インタビュー 最果タヒ さん

(聞き手/牧尾晴喜、原稿構成/風戸紗帆)

の創作においてネット世代の新次元の表現を追求するとともに、詩を使ったシューティングゲームなど、旧来の現代詩の概念を打ち破るような試みでも注目を集める最果タヒさん。彼女に、創作に対する思いについてお話をうかがった。

-------詩集『死んでしまう系のぼくらに』は、これまで詩にあまり触れていなかった方々からも大きな共感が寄せられ、話題ですね。抽象的なことではなく、いま私たちが住んでいる世界の詩なので、読んでいてハッとさせられます。
最果:そう思ってくれると一番うれしいです。読んでくださった方が、レンズのように、私の書いたものを通じて、自分の生活を見てくれているんだと最近は感じます。書くときはあまり考え過ぎずに書くことを大事にしています。言葉に凝るとか、世界観に凝る、というようなことは、私はあまり楽しんでやることができなくて。ですので、詩に使われる言葉は、日常で使う言葉がほとんどになっています。

-------『死んでしまう系のぼくらに』には、縦書きの詩もあれば横書きの詩もあります。どういった違いがありますか?
最果:横書きの詩はネットで書いていたものがほとんどです。ほぼ毎日、「花束の詩」とか「図書館の詩」というふうに、なにか一つの物に対して短い詩を書く、ということをやっていました。そのときの作品になります。ネットに書いていた頃からなのですが、それらの作品は、詩が先でタイトルが最後に来るというレイアウトにしてあります。詩に慣れていない方でも「これは、なんの詩だろう?」と考えながら読むことができたり、逆に、詩単体で味わう人は、最後に身近な物がタイトルとして現れることで、ふと、その詩が自分に近づいてきたように思えたり。人によっていろんな楽しみ方ができるように、なっていると思います。小説とかだとタイトルって結構大事なんですけど、詩は短くてすぐに読めてしまうので。なるべく軽い気持ちで雰囲気を残すことを一番大事にしつつ、タグ付するような気持ちでタイトルを決めています。

-------最近はtwitterやFacebookなどの反応や反響によって、詩のつくり方が変わった部分はありますか?
最果:twitterで書くと、「お気に入り」やリツイートされる数で、露骨に反応が分かるんです。しかも、書いた直後に。私は自分の作品にあまり愛着がないので、割と人の意見に流されるタイプです。だから、基本的に褒められた詩が「いい出来だったんだ」と思っています。反対に、自信があった詩に反応があまりないときには、「言葉に没頭しすぎて読む人を置き去りにしたかな」と後々おもったりもして。ただ、反応がたくさんあったからといっても、それがただ「分かり易すぎた」ということもあり、その辺りの見極めは難しいです。ポップさはチープさと隣り合わせなので、そのあたりは気をつけていきたいです。

-------今月は、小説が2冊刊行されますね。『星か獣になる季節』のほうからうかがいます。早稲田文学で掲載された小説と、その後日談となる外伝中編(書き下ろし)が収録されています。どういったことを意識されましたか?
最果:編集者さんが、もともと、私の横書きの詩をとくに気にいってくださっていたんです。それで、「横書きの小説」を書いてみてくださいって依頼されました。横書きというルールのお題だけあってどうしようかなっていうときに、ふと、小説の設定が思い浮かびました。また、詩でもそうですが「ぼく」っていう言葉が語感的に使いやすいんで、一人称で、横書きなら手紙として書いてみようと。アイドル好きの男の子二人の友情物語です。二人が応援していた地下アイドルが殺人容疑で逮捕されたところからお話は始まります。彼らはそのアイドルを救うために奔走していく、といったストーリーです。
 書いてみると、横書きの小説は、縦書きとは目の動きが違うからなのか、流すように速く読めるので、文章の勢いに乗ってよかったかなと思います。

-------『かわいいだけじゃない私たちの、かわいいだけの平凡。』のほうについて。インターネットの力で魔法少女に変身する女子高生のお話で、青春小説とのこと。以前に別冊少年マガジンで連載していた小説『魔法少女WEB』を改稿・改題されたとのことですが、90%改稿とうかがいました。連載から書籍化に際して、苦労もありましたか?
最果:連載で小説を書いたのは、これがはじめてだったんですが、なかなか難しかったです。毎月区切って書くことで、普通に書くのと書き方が変わっていくというか。あとあと知ったんですが、連載小説は、まとめて最後まで書いてしまって、それから連載用に区切っていくという人も多いみたいです。ただ、漫画雑誌に載せていただいていたので、なんというか、他の連載漫画の「来月はどうなるか?!」という熱気とともに書くことができたのは楽しかったです。

-------今回の小説2冊と詩集の装丁は佐々木俊さんです。タイポグラフィも凝っている感じでステキです。特別なイメージを伝えたりされたんでしょうか?
最果:佐々木さんのことはとても尊敬していて、単純にファンなので、私も出来上がりがただ楽しみなだけなんです。ですので、私から特別なリクエストはしていません。詩集『死んでしまう系のぼくらに』のときは、詩集っぽくしないでほしいとだけお願いしました。でも今回は、原稿をお渡ししてお願いしますとだけ。
 じつは佐々木さんのことはTumblrで知って、すごい人だなと思って声をかけました。全然知り合いじゃなかったんです。でも、今ではお願いしてよかったとすごく思います。

-------これまでに詩をあまり読んだことがないような人にも届くような、新しいこともいろいろとされています。最果さんの詩のテキストを打っていくシューティングゲーム、『詩ューティング』をはじめ、詩を書いている最中を録画したgifアニメ『詩っぴつ中』なんかも、かなり斬新ですよね。
最果:『詩ューティング』は詩を撃つシューティングゲームで、詩が敵として攻め込んでくる様子と、私の詩の攻撃的な作風をかけあわせた作品です。ゲームオーバーになると「私はこの詩にやられました」という言葉とともに、スコアをtwitterでつぶやけるようにしています。また、雑誌『WebDesigning』での連載『詩句ハック』では、毎回、詩で何か珍しいことをして、それを紹介しています。『詩っぴつ中』などは、連載上の企画ですね。企画が肝になるので、面白いアイデアを頑張って考えています。

-------最果さんは詩人でもあり小説家でもあります。
最果:詩を書いてるから「詩人」と言われて、小説を書いてるから「小説家」って言われますが、それは他人がジャンル分けのために使う言葉であって、私自身は肩書きにこだわりがないです。言葉を書いてるというだけなので、筆名があれば十分だと思います。ただ、詩と小説を書くときに、意識は少し変えています。詩は言葉の密度が重要ですが、小説でそれをやりつづけると読む人が疲れてしまいます。小説には物語があり、それをまずは伝えなくちゃいけない。でも、情報として伝えるのではなく、「人」「心」として伝えなくちゃいけない。言葉の密度を自在に変えていく必要があると思っています。

-------子どもの頃から、文章を書くことや、新しいことで人を驚かせたりしていましたか?
最果:何かを書くのは昔から好きでした。小さい頃に母が絵本の読み聞かせをすごくしてくれていましたが、それ以外では特に本は読んでいなかったんです。本を読まないのに書くのが好きっていうのはどういうことかと、親は思っていたみたいです(笑)。他人に興味がほとんどなくて、一人でいるのが好きだったので、人を驚かせたいとは思っていませんでした。マイペースだったので、勝手に驚かれるタイプでしたけど。小さな頃、発明家になりたいって思っていましたけど、特別に新しいことがしたいとは考えていませんでした。今でも、新しいこと、というよりは面白いことをしたい、って気分かもしれません。

-------今後、どんなふうに詩をつくっていきたいですか?
最果:あまり、どんな詩を、とかは考えないんです。できたものが、今の作品、ぐらいの感覚です。ネットなど、たくさんの人に読んでもらう場で詩を書くのは楽しいので、それは続けていきます。楽しく書いているのが続いている状態なので、この状態が続くようにしたいなあと思っています。



小説 星か獣になる季節 (単行本)
最果タヒ(著)
筑摩書房 (2015/2/18)
 
小説 かわいいだけじゃない私たちの、かわいいだけの平凡。
最果タヒ(著)
講談社 (2015/2/25)
 
詩ューティング』のキャプチャ画像1
 
『詩ューティング』のキャプチャ画像2
 
第二詩集 空が分裂する
最果タヒ(著)
講談社 (2012/10/5)
 
第一詩集 グッドモーニング
最果タヒ(著)
思潮社 (2007/10)
 
最果タヒ《詩句ハック》【詩ティ】』(SUZURI)
雑誌『WebDesigning』での連載『詩句ハック』の企画で、SUZURIにて新刊についての詩をデザインしたTシャツやトートバックが発売中!(デザイン:佐々木俊)
 
最果タヒ(さいはて たひ)

1986年、神戸生まれ。
詩人/小説家

第44回現代詩手帖賞、第13回中原中也賞受賞。
詩集に『グッドモーニング』(思潮社)、『空が分裂する』(講談社)。
2009年4月に初の短編小説「スパークした」を『群像』に発表。「スパークした」は2009年の『年刊日本SF傑作選』に収録された。
近作の詩集『死んでしまう系のぼくらに』が大きな評判を呼び、多くのファンを獲得している。
今、最も注目されている若手詩人のひとり。
 

#2 駅を、観る。

京駅が復原した際に、駅に降り立った時の感動を今でも覚えています。
それまでに何度か東京へ行く機会はありましたが、あくまでもそこは「駅」であり、通過点と認識していた私は、一目散に次の駅へ乗り継いだことしか記憶にありませんでした。今ではひとたび駅から出て眺めたくなる建物に。

この東京駅の設計者が辰野金吾氏である事は周知のことかと思いますが、氏が最初に手がけた駅舎が、私の地元、大阪府堺市にあります「南海本線浜寺公園駅」です。
1907年建築、木造平屋建て、鉄板葺き、柱や梁を表に現したハーフティンバー様式の建造物。現役で存在する最古級の木造駅舎のひとつとされており、1998年には国の登録有形文化財に。
歴史的駅舎ですが、このたび交通円滑化のため、踏切を除却し高架化されるとの事で、それに伴い駅舎を残した状態での提案競技を実施。(よかった、駅舎は残るようです。)昨年1月に選ばれたプランを基に、ただいま着々と工事が進んでいるようです。完成は2018年3月の予定。

ちいさな頃から利用していた駅であり、小学校の図画授業ではスケッチのメッカでした。
木造のおおきな柱をよじ登り、改札へ上がる石段に腰をかけ、木枠の窓から駅員室を覗き込む…。
同級生はそんな駅での思い出が消えてしまいそうで、少し寂しい気持ちに。私もちょっとはそんな心境になる時もありますが、大事な移り変わりの時期を目の当たりにできるのは貴重かな、と。
地域の歴史的資源の存在感と、新駅舎の関係性の調和、周囲の閑静な住宅街と新駅舎の関係性の調和"が果たしてどのようになるか…それを観たい。ですね。

さて、氏が携わった建築は大阪中之島にある中央公会堂も。現在では東京駅も公会堂もプロジェクションマッピングなどで彩られたりと…そんな事になるなんて、氏は思ってもみなかったでしょうね。
新・浜寺公園駅舎も、住民が、市が、そして辰野氏がビックリするような駅舎になりますように。


東京駅。復原時、JR東日本のポスターで"Over The Century" というものがありましたが、
これまでとこれからの100年へというメッセージには新幹線内で感動したものです。


わが町の駅、浜寺公園駅。駅舎向かって右側には貸しギャラリーが。ここお得です。


毎日当たり前のようにみていたのですが、細かいところにこだわりが。

橋本征子(はしもと せいこ)
スペースデザインカレッジ広報。
おしゃべりだいすき。CO2の排出量で光合成のお手伝いをしている。
と、思っている。

死と映画の相関関係 ~おみおくりの作法~

ぁ、私だ。パゾリーニの新作との文字を見て、目を疑ってしまった。イタリアが生んだ巨匠ピエル・パオロのパゾリーニは1975年に亡くなっているし、はて、映画業界で現役の親戚がいただろうか。関東でヒットとなっている『おみおくりの作法』の監督ウベルト・パゾリーニは、もともとプロデューサーとして世に出た人で、イタリアとイギリス両国で活躍し、たとえば『フル・モンティ』を手がけている。調べれば、かのパゾリーニとの縁戚関係はないかわりに、大叔父がなんとルキーノ・ヴィスコンティという、これはこれで驚きの血筋である。そんな第二のパゾリーニがイギリスで撮ったのは、決して第二の『おくりびと』ではない。別に『おくりびと』を悪く言うつもりはない。好きな作品だ。そして、人を弔うとはどういうことかという、残された側のあるべき心の持ちようを描いている点でも両者は共通しているものの、ラストシーンで腑に落ちるこの映画のメッセージと原題"Still Life"の意味を考えた時に、あぁ、邦題のこの二番煎じ感のもったいないことよと嘆いてしまったということだ。
 主人公のジョン・メイはロンドン市の民生係。ひとりきりで亡くなった人を弔うのが仕事だ。本当は合理的かつ事務的に淡々と「処理」できる業務を、彼は心を込めて行う。死者の自宅でポートレートやレコード棚を確認しながら、誰も参列しない葬儀でかける音楽を選び、生前の人間関係を調べては、聖職者が読み上げるスピーチの原稿まで執筆する。そんなメイも、実はひとりもの。ある日、彼が住むアパートの向かいで、アルコール中毒患者の遺体が発見される。身近にいたのに存在すら知らなかったことに軽いショックを受けながらもいつも通り念入りな作業に入るのだが、そのタイミングで解雇が言い渡される。20年にわたって死者と向かい合ってきた誇り高きメイのラストワークが始まるのだが…
 葬儀でのBGMを選曲する作業については、実は近年のイタリア映画で同様の設定があったのだが、そちらはむしろ自殺幇助の物語で、その比較も面白いのだがここでは脇へ置くことにして、興味深かったのは、死者の家だ。建築物としては何の変哲もない集合住宅であっても、内側にはその人ならではの空間構成がある。当たり前のことだが、名も無き人にも生の蓄積があるのだと映像で見せつけられた。
 集大成となる仕事に粉骨砕身で取り組んだメイが、最後の「おみおくり」を行うラストシーン。私は非常に感銘を受けた。そこには「死とは何か」、いや、「本当の死とは何か」について思いを巡らさざるをえない光景が広がっていた。
 産声を上げてから、未編集のフィルムのように延々と「現在」を生きる人間は、死によってそれが途絶え、どんな善行をしてきたのか、どんな悪行をしでかしてきたのか、その行為の編集が行われ、それこそ聖職者が葬儀で行うスピーチのように、人生に意味が与えられていく。ただし、人生は決してそこで終わりではない。生き抜いた意味を思い出す人がいる限り、まるで映画を上映するように、死者がかつて生きた現在は他人の記憶の中で甦る。そして、誰もその死者を思い出すことが無くなった時にこそ、本当の死が訪れるのではあるまいか。スクリーンに映るStill Lifeの文字を読みながら、そう思った。


(c) Exponential (Still Life) Limited 2012


『おみおくりの作法』
原題:Still Life
全国で順次公開中。関西では、2015年2月21日からシネ・リーブル梅田、京都シネマ、順次シネ・リーブル神戸にて公開。


監督・脚本・製作:ウベルト・パゾリーニ
製作:フェリックス・ヴォッセン、クリストファー・サイモン
出演:エディ・マーサン、ジョアンヌ・フロガット、アンドリュー・バカン
音楽:レイチェル・ポートマン
2013年/イギリス=イタリア/91分/カラー
配給・宣伝:ビターズ・エンド



野村雅夫(のむら まさお)
ラジオDJ/翻訳家
ラジオやテレビでの音楽番組を担当する他、イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳なども手がける。
FM802 (Ciao! MUSICA / Fri. 12:00-18:00)
Inter FM (Happy Hour! / Mon., Tue. 17:00-19:00)
YTV (音楽ノチカラ / Wed. Midnight)

如月本『生きるための料理』 たなかれいこ (著)

のすごくシンプルな表紙に惹かれて手に取ったら、料理のレシピ本だった。いまやレシピなんて、ネットで検索すれば何でも見つかる。どんな料理も簡単に作り方を知ることができる。
 もう、書籍のレシピ本はいらなくなってしまったんじゃないか…なんて心配していたわたしは、この本に出会って、そうじゃなかったと思った。本には著者の食に対する思いや哲学がつまっていた。料理本というのは料理の作り方を教えてもらうためのものじゃなくて、著者の生き方を料理という実践例つきで味わっていくものなんじゃないだろうか。

 ところでわたしは、白い背景に文字や写真がぽつんと配置された、シンプルで体に良いライフスタイルを啓発する系の雑誌や本に弱い。とにかく惹かれる。ついつい買ってしまう。ごちゃごちゃした部屋の中でコーヒー片手に写真や文字を眺めるそのひとときが楽しい。もちろんシンプルで体にいい生活に憧れる。でも、実際は日々に追われて、本に紹介されたことを少しも実践できていない。そのことに自己嫌悪して、しばらくの間、そういう本を買うことを自分に禁止していたのだけど、最近考えを変えました。読んで楽しいなら、いいじゃないか! それだけで、その本たちは立派に役目を果たしているのだ…!後ろめたくなる必要なんかない。自分が気持ちいいこと、楽しいこと、夢中になれることは、たぶんそれだけで価値がある。



生きるための料理
たなかれいこ (著)
1500円 +税 
出版社: リトルモア (2014/12/28)

 というわけで、解禁第1号のこの本なんだけども、眺めて楽しいだけで終わるかと思いきや、自分でも意外なことに、ちょっとずつ実践しています。というのも、「からだがあたたまる」という文字が目に飛びこんでわたしの心をつかんだから。ただでさえ寒がりで困ってるのに、この冬はちょっと無理したらすぐに風邪を引いてなかなか治らず、どうにかしたいなと悩んでいたのです。「からだをあたため、免疫力がつく食材とレシピ」ですって? そう! それですよ! 今のわたしに必要なのは!

 からだをあたためる食材のひとつに葛(くず)が取り上げられている。そして、葛を使った料理がたくさん載っている。葛といえば、和のデザートのイメージしかなかったから、片栗粉の代わりに使ってとろみをつける発想にびっくりした。どのレシピもおいしそう。葛の効能はすごいらしい。風邪の引きはじめのときに飲む漢方「葛根湯」の原料でもあり、代謝を上げ、からだをあたため、ホルモンのバランスをととのえ、自律神経や血圧を安定させ、脂質の代謝をよくする(ダイエット!)。肌にもいい。だけど本葛と呼ばれる葛100%の粉は馬鈴薯デンプン粉の10倍くらいの値段がする(馬鈴薯デンプン粉が安いので高いといっても知れていますが)。単にとろみをつけたいだけなら馬鈴薯デンプンでいいわけで、からだにいいって本当だろうか…とネット検索していたら、掘り出したばかりの葛の根をおじさんがかかげている写真を見つけてしまった。衝撃的だった。初めて見た葛の根は人の背丈ほどもあるような巨大さで、ゴボウのように真っ黒だった。これを山に入って掘り出して、白い粉になるまで精製するんだそうだ。そ…それは…高くもなるよな…。そして何だか効きそう…。

 というわけで、妙に納得して、本葛粉を買ってみて、本を見ながら葛湯を作ってみたり、葛練りを作ってみたり、料理に使ってみたりしています。おかげで風邪が治った気がする(放っておいてもいずれは治っただろうけど)。このエッセイを書く前には朝ごはんとしてトマトの葛よせ(あったかくてとろみのあるトマトスープ)を作って食べた。お腹がぽかぽかしている気がする。冷え性が解消されつつある気がする。ダイエットはまだ効果がない。とりあえず、おいしい。

小さな鍋に葛の溶けた水を入れて火にかけてかきまぜながら、山に根をはる巨大なあの黒い塊を思い出す。生命力にあふれた姿、掘り出して加工する誰かの技術と苦労。そして、その食材を使ってちょっと手間をかけて自分の食べる料理を自分でつくるのは、しみじみと楽しい。おかげで、「生きる」ことに前よりも少し近づけた気がする。

寒竹泉美(かんちくいずみ) HP
小説家
京都在住。小説の面白さを本を読まない人にも広めたいというコンセプトのもと、さまざまな活動を展開している。