繋がり合うもの

いかにスピーディーに事故や事件現場の状況を伝えるかは、報道における大きな課題だ。中継車が現場へ赴く方法は迅速さに欠け、裁判の判決など予め情報があるものには十分な準備ができるが、突発的な事故や事件への対応は遅れてしまう。そんな中で、携帯電話の登場は画期的だった。まだまだ画質の悪さは気になるが、最近では携帯電話での映像もニュースで使われるようになり、コメンテーターの電話出演も少なくない。どこにいても音声や映像を通信できる手軽さは携帯電話ならではだ。
私が携わるコミュニティFMというメディアは、地域密着が最大のテーマで、地元の小さな商店までもが地域情報の主を担う。例えばたこ焼き屋の親父も重要な出演者なのだ。しかし、一人あるいは家族で経営している商店も多く、放送局のスタジオで生出演というのは難しい。そんな時に、手軽に中継できる携帯電話は非常にありがたいツールである。今はカッコ良さを売りにした音楽番組の多い日本でも、アメリカのコミュニティFMのように「ハーイ、ジェーン!今日はどんなイキのいい魚が入ってるんだい?」なんていう会話がラジオから聞こえてくる日も、そう遠くはないのではないだろうか。

中村 謙太郎
インターネットラジオ
大阪・新世界

インターネットラジオ
Good-AIR !

便利で不便なツール

私の仕事に携帯電話は必要ないんじゃないかと思う今日この頃。仕事の連絡はほぼ全てメールやインターネットを通して行っているし、電話をかけるときは必ずオフィス(と称する仕事部屋)からかけるようにしている。稼働時間の不規則な自営業ゆえ外出中に思いがけず仕事の電話を受けてしまうこともあるけれど、路上や人前で案件の内容を話すのは抵抗があるのでなるべく避けたいところ。というわけで、私にとって携帯電話とは便利なんだか不便なんだかよくわからない道具で、周りが使っているので仕方なく合わせて持っているもの。
現在の携帯電話は機種変更をしてからアドレスブックを移行しないままもう5ヶ月ほど使っているけれど、登録されている番号は約20件。要するに私の電話生活は約20人と連絡がつけば問題なく過ごせるということらしい。あまり使わないせいか、よくスイッチを入れ忘れていたりどこかに忘れてきたりする。やや使っているのはメールとウェブ閲覧機能。直接電話をかけるほどではなくても、SNSを覗いて元気でやっている友人を確認して満足、という感じ。以前テーマにあった「サードプレイス」の携帯ツールという感じで受け止めればいいのかもしれない。

山本真実
ローカリゼーション
大阪・南森町

クリエーター自主運営
ワークルーム208

避けたい携帯非携帯

去年初夏。私は2年に及ぶローマ生活のさりぎわをぎこちなく歩いていた。ODCのウェブサイトには「悩ましき翻訳の日々」というコーナーがあって、イタリアの短編小説を翻訳紹介しながら、文芸翻訳の苦楽をも味わってもらおうと試みている。その打ち合わせのため、私は同じくローマ在住のメンバーと待ち合わせをしていた。彼を最寄りの地下鉄の駅まで迎えに行くのである。予定時刻30分前。彼から遅刻の連絡が携帯に入った。私は安穏としてシャワーを浴び、さっぱりして携帯を確認すると、予定時刻10分前。彼の遅刻を鑑みても、出立の時だ。生乾きの髪はそのままに、私はアクセルを踏む。幹線道路に入るや、未曾有の大渋滞。やれやれ、今度は私が遅刻か。彼に詫びの一報を送ろうとするも、ダッシュボードにあるはずの携帯がない。う~む。一旦帰るか否か。結局私はレット・イット・ビーを選び、待ちくたびれて飲み物を買いに行っていたという彼と現場で落ち合うのが困難を極めたことは言うまでもない。帰国して携帯を購入すると、まず私は仕事にまつわる連絡があまねく携帯へ瞬時に届くよう設定した。そして何よりも、初夏の忸怩たる経験をばねに、携帯を必ず携帯することにした。

イタリアで携帯を携帯中の筆者

野村雅夫
イタリアの文化紹介
大阪/ローマ

大阪ドーナッツクラブ

手の中にうつるもの、大切をきずくもの

最近は携帯電話をカメラとして使うことが多い。私は自分を表現する手段としてRcafeを営んでいるが、その一貫として、またはそこからはみ出した部分を表現するためにR日誌と称したブログで日々の出来事やそこから想うことなどを綴っている。最近は日記のほとんどに写真をつけているのだが、それらは全て携帯電話のカメラで撮ったものだ。いつも持っているので気軽に撮れるからというのも理由のひとつである。しかしそれ以上に、とても面白いと感じる方が大きい。私が出会う世界に幅と深さを与えてくれる気がするのだ。ひとつのものにものすごく近づいてみる、目にうつる全てのものに焦点をあててひろく世界を見てみる、見えている世界から色を抜いてみる、瞬間の動きを捕らえてみる、日頃目をそらしがちな自分を写してみる。きっとまだまだこれからもっと新しい見方がうまれるはずだ。そんな携帯電話だがたまに振り回され疲れてしまうのは先月のインターネットの話同様携帯電話の奥に沢山の人がいるからだ。やはり最終的に全てはそこに繋がると思う。誰かと接することで見方を拡げ、さらには自分自身と向き合い、そこから自分を表現するということに繋がっていくのだろう。さて明日はどんな世界が携帯電話で切り撮れるだろうか。

藤井 有美
カフェ
大阪・中崎町

R cafe

ケータイのしらせ

いまいちメガネヤがお店として何かしらの地に足着いた(?)たたずまいに欠けるような気になるのは、店の電話がケータイ番号だからでしょうか?前々から気にはしているんですが、面倒なのと本当のところの電話をひくメリットがどうなのかわからないんですよね。でも、たまにファックスありますか?なんて聞かれて困ることも…。今までの生活でファックスなんて使ってこなかったしなぁ。仕事となるときっといるんでしょうねぇ。それと、メガネヤの連絡先がケータイというのは、やっぱりどこかでは信用に欠けていそうです。たまに不審な感じで電話をかけてきてくれる方がいたりしますし不安でしょうね。
でも、メガネヤは京橋のお店だけじゃなくて、僕個人も最近はメガネヤなんで、ケータイがメガネヤの電話番号としての意味はあってるんじゃないかと思ってるんですが頑張りすぎな考えですかね。最近では常連さんは電話でメガネヤの開店状況を確認してから来てくれますが、外だとわかると今日はお店は開いて無いんですねと理解してくれることもしばしばです。猫の鈴?なんか違うな。

市川ヨウヘイ
古本屋
大阪・京橋

古本屋メガネヤ(地図)

命の綱の携帯電話

大げさなタイトルに思われるかもしれないが、途上国で仕事をしていると、時として携帯電話は万が一の時、まさに最後の命綱になる。そして、「万が一のこと」はけっこう頻繁に起こる職場なのだ。
雨季のザンビアでは、車がぬかるみにはまって動けなくなることがしばしばある。私も何度も体験しているが、ラッキーな時は人と牛が20人ほど集まってくれて引っぱり出すことができる。しかし、いつもそううまくはいかない。一度、まったく人通りのない道でぬかるみにはまった。押しても引いても動かない。最悪なことに、携帯の電波が届かない場所だった。一番近い民家でも徒歩で30分。しかも人力では引き出せない状態までどっぷり沈んでいた。どしゃ降りの中、同乗していたザンビア人の役人が電波の届くところまで徒歩で向かい、一番近くでトラクターを持っている農業系の学校まで電話で助けを求めた。待つこと6時間、辺りが暗くなり始めたころトラクターが来て、あっという間に引っぱり上げてくれて事なきを得た。それはそれで今では思い出の一つだが、身の安全のためにも、周囲に心配をかけないためにも、携帯電話は私の仕事にとって必需品のひとつだ。

西口 三千恵
国際協力
徳島/カンボジア

NPO法人TICO

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