2007年度 第2回 ウラガワのコダワリ 〜各職能における職業病〜

都市のあちこちに五月病が蔓延するこの時期、コラム第2回のテーマは『職業病』です。
客観的に見直してみると、個人の癖のようなものから、各職能に介在するしきたりや考え方まで、様々な職業病が存在します。こういった職業病はよく冗談にも使われますが、それは私たち誰もが、「同じく違っている」からでしょう。
一方で、このような「内部」では意識されていないことを「外部」に伝えるという難しさを、今回のテーマは孕んでいます。かつて、マイケル・ポランニーが提唱した「暗黙知」という概念で脚光を浴びたこの「オモテとウラ」のような問題から、現代の多様な職能の一面が浮かび上がるのではないでしょうか。
ジョークのネタとして興味深い対象にも、社会学的なテーゼにもなりえる、今回のテーマ。「オモテ」から「ウラガワ」を見た時に浮かび上がってくるコダワリのエピソード、お楽しみください!

スタジオOJMM (設計・研究・翻訳)
代表 牧尾晴喜



 まずはヤカンに火をかける

古本屋はやっぱり古本屋、新刊屋さんのように本を仕入れる事ができないので、品揃えって難しいんですが、そんな中で集めた本の中から、お客さんが「あっ!」と言って本棚からお目当ての本を見つけたり、懐かしい本を見つけて喜んでもらえると、本当にうれしいもんです。
なので古本屋のお仕事をはじめてからは、本を見ると、あの人はこれが好きかな?この本ならどの人だろう?という感じで、自分が読むんじゃなく欲しがりそうな人の顔が思い浮かぶようになり、今では本を探す時すっかりプレゼント感覚で探していることもよくある話で、古本屋をはじめてから欲しい本が本当に倍増しました。これは小さいお店だからできている事なのですが、喜んでくれるお客さんがいると止められない事です。
そんなお客さんに「メガネヤの職業病って何?」と聞いてみると、お客さんがくると古本屋なのにお茶を入れてお客さんと話をしようとするところと言われて、すでに古本屋としての職業病じゃなくて、メガネヤという職業の職業病があることが判って、笑ってしまいました。

 

 

市川ヨウヘイ
古本屋
大阪・京橋
古本屋メガネヤ(地図)




ひたすら続くザンビアの道

 正しい日本語を使いましょう
この仕事をしていると、英語の文献を読む機会が増える。特に海外の現場で交渉やミーティングをする時、いわゆる専門用語的に使われる特定の言い回しなどもあるため、英語の対訳が何になるかなど、あらかじめ解っていないと困ることになる。
でも最近、日本語で仕事の話をしているときの自分の言葉を客観的に聞くと、そのお粗末さに頭を抱えることが良くある。例えば「このgrantにapplyしないと、予算的に苦しいですよね。でも、approveされるまでかなり時間かかるし・・・」といった具合だ。はっきり言って、英語で言う必要はまったくない。解っているが、言葉が出てこない。文字にしてみてしみじみ感じる。まわりの同業者も、ほぼ似たような感じ。あちこちでルー大柴的な会話が展開されている。
個人的には、海外生活が長くなるにつれ、日本語の奥深さ、表現の多様さに改めてその素晴らしさを再確認しているつもりだ。なのにこの始末。意識して治そうとしてはいるが、どうにも日本語が出てこないときが多い。これを職業病と言うのかどうか解らないが、今最も私が悩まされていることだ。
 

 

西口 三千恵
国際協力
ザンビア/徳島
NPO法人TICO




撮影: 峯岸絵美

 気づかないものに気づくこと
放送する際に必要な事。当然ながらしゃべるネタは重要です。ネタは頭の中を適当にかき混ぜた所でおもしろく興味をひく言葉を選び出すことはできない。では、どうやってネタを作るのか。それには好奇心を持つ事、そして考える事。人は未知の事に興味を持つ。それが雑学と呼ばれる物でも知識と呼ばれる物でも、その欲求が満たされると満足して得意げになれる。新たに知った事を誰かに話してしまいたくなる事。ラジオを聴いて満足してもらうには、そんなネタと言葉の選択が必要なのだと思う。その為にまずは僕自身が好奇心を持つことが必要。新しい事や知らなかった事を知るとテンションを上げ、初めて会う人を質問攻めにしてしまうようになってしまった。毎日同じ道を通って「昨日と今日では何が違うのか」よく尊敬する先輩に質問された。木々の紅葉の様子は−気温は−どんな車が多いとか、敏感になる為の教育だった。知らない町に行くと町の人の様子を座り込んで見てしまう。一人で歩く女性が堂々と前を向いて歩いているのに、男性が一人だと下を向いて何気なく歩いているのが目立つ。この町の男の人はちょっと元気がない?僕はそんな人たちを想像しながらラジオで話しかける。
 

 

中村 謙太郎
インターネットラジオ
大阪・新世界
インターネットラジオGood-AIR !



 インタビュー字幕にツッコミを。

BBC(英国国営放送)の娯楽番組の字幕制作をしていたことがある。とても楽しい仕事で、欠点と言えば家に帰るともうテレビをつける気にはならず他局の番組を見る機会がなくなってしまったことくらい。その仕事も辞め帰国してから気付いたのだけれど、テレビ番組に字幕が出てくると内容を楽しむ前につい訳抜けチェックや文字数をカウントしてしまっている。ロンドンに住んでいる頃は仕事以外で日本語字幕を目にする機会などなかったので、こんな癖ができたことに気付かなかった。
テレビを見ていると、ドラマはともかく、インタビューなどの場合は意外にざっくりとした字幕が使われるので時々驚いたりたりもする。イギリスの「tea=夕食」がよく「お茶」と訳されるのを見て、アメリカ英語に親しんだ人にとってイギリス英語は方言なのだなあと気付いたりもした。最近いちばん気になったのは、某在京キー局の来日アーティストのインタビュー。きっと制作時間がないのだろうし重箱の隅をつつくようなことを言っても仕方ないのだけれど、大物女性アーティストが謙虚な口調になり一部誤訳もあったりしておかしかった。一方、いつも美しく完璧な字幕を乗せている局もあって、とても勉強になる。もう字幕の仕事に就くことはなさそうだけれど、一緒にテレビを見ている人にうるさがられないよう気をつけつつ、今後もきっとチェックを続けてしまうのだろうと思う。

 

 

山本真実
ローカリゼーション
大阪・南森町
クリエーター自主運営 ワークルーム208




 湖畔に佇む悩み多き狩人

 病める狩人

ローマに住まう現在、ODC代表たる私は、日夜ハンティングに余念がない。イタリアの良質なアーティストとその作品を狩るのだ。主たる狩場は本屋と映画館。連綿と続く活字の山々を登り詰め、闇に広がる光と影の大海原へ漕ぎ出し、知的好奇心という羅針盤を片手に槍の如き鋭い眼光で周囲を睥睨する。これが私の仕事だ。
例えばスクリーンと対峙する場合、茫漠と話の筋を追うだけでは肝心の獲物は追い切れない。紡ぎ出される映像の美的要素に目を凝らし、私は耳に届く台詞を片っ端から脳内で字幕に置き換えていくという擬似同時通訳作業に没入する。激務である。もはや何人も娯楽とは呼べない。誰に頼まれた覚えもないが、これはまさしく労働だ。映画館を出ると、私は草臥れた脳に慈悲深い言葉をかける。「一服しないか? 一本やろう」。煙草ではない。映画だ。娯楽としてのフィルムだ。気づけば私は再び上映室の暗がりに身を置いている。そんな私を待ち受けるのは、結局のところ視聴覚と脳を崖っぷちへ追い詰める銀幕凝視と擬似通訳である。獲物を追い詰めるつもりが自分の肉体を追い詰め、娯楽はたやすく労働に転じる。無間地獄かメビウスの輪か。病める狩人の悩める日常だ。

 

野村雅夫
イタリアの文化紹介
大阪/ローマ
大阪ドーナッツクラブ




 雨上がり 虹の時 夏が来る

定休日の火曜日は本当に雨が降ることが多い。なので、出かけるとなると雨の日が多くなる。私はよく雨女だと言われ、自分でも雨女だと思っていたが、これは職業病ではないかと最近考えるようになった。きっかけは先日の一年に一度のトタンの塗替イベントが今年も晴れたことだ。
Rcafe主催で毎年五月五日こどもの日にお店の前のトタン壁を塗り替えるというイベントを開催している。テーマを決め、近所のこども達と一緒に絵を描いている。今年は降水確率80%の予報だったにもかかわらず、当日はすっかり晴天だった。ということは火曜日に雨が多い理由は私が雨女だからではないんじゃないか。
Rcafeをしていて、お客さんに対して申し訳ないと感じる状況が多々ある。そのうちの一つとして定休日のご来店がある。感謝の気持ちを伝えることもできないので本当に申し訳ない。この気持ちからどうせ雨が降るなら火曜日に降ったらいいと思ってしまう。基本的に雨の日はどうしても足が遠退くようでお客さんの数が少なくなるからだ。この私の想いから雨の日が火曜日に集中しているのなら、私が出かける時に雨が降ることを職業病と呼ばせていただきたいと思う。(雨の定休日にご来店の方にはこの場を借りてありがとうを。)

 

 

藤井 有美
カフェ
大阪・中崎町
R cafe



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