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スタジオOJMMが企画編集する連載コラム、7年目となる2009年は、「建築ノオト2009」(全12回)。

第9回、9月号の内容は

建築家、南野優子の「総選挙から考えた建築の仕事の意味について 」
豊田高専建築学科助教、加藤悠介の「ショッピングモール」
カフェオーナー、浅海恵美子/白滝素子の「水辺のまちに棲む」
大阪ドーナッツクラブ代表、野村雅夫の「パッチギ! ~鴨川デルタ その2~」

4人の執筆者が、それぞれ違った視座から建築周辺の話題を綴るコラム、お楽しみください!

今後の政治の行方はいかに?

南野優子

建築家(設計事務所勤務)
大阪

総選挙から考えた建築の仕事の意味について

 8月30日に行われた総選挙を通して、建築の仕事について考えてみた。
改めて説明するまでもないが、建築計画は政治的状況に影響されることが多い。公共工事は当然のこと、補助金などが主な財源である場合もあれば、政策に影響を受けた経済状況によって行われる民間の工事もあてはまるだろう。政治の大きな役割のひとつとしての予算配分の決定は、未来の建築計画を決定する直接的、間接的要因となる。そう考えながら各党のマニフェストを見比べると、普段の生活で密接にかかわりのある項目だけでなく、直接には関わりの薄いと思っていた項目も建築の仕事を通して間接的に関わっていたりするので興味深い。現場の実情を目の当たりにしたものなどについては、政策による予算配分やその制度の不十分さにとどこおりを覚えることもある。もちろん、ここまでの話は一有権者としての感想である。
 それでは建築に携わる者として、この現状に対してどう応えることができるのだろうかと考えてみる。さまざまな要望や制約の中で、よりよい計画を提案し実現させること、時には現状の問題点を踏まえた上で、既成の考えにとらわれない提案をすることが必要な時もある。その建築的アイデアや新しい価値観のようなものを打ち出すことこそが建築家としての重要な職能の一つなのだ。それはコンセプトであり、そのコンセプトによってプランやディテール、用いる素材などが決められる。実現させるには、様々な現実や問題点を踏まえ何が大切なのかを見極めた上での提案力が重要になってくる。
 少し大きな話になってしまったけれど、総選挙を通して一有権者として今後の政治の行方を見守っていきたいと改めて考えるとともに、普段関わっている仕事の意味を再確認するいい機会になった。

見た目は楽しいものがいっぱい詰まっていそうなのだが

加藤悠介

豊田高専建築学科助教
愛知県豊田市
加藤(悠)研究室
豊田工業高等専門学校 建築学科

ショッピングモール

 先日、休みにすることがなかったので、最近できたショッピングモールに行ってみた。もちろん車で。ほとんどのものが1箇所で揃うので確かに便利であるが、巨大な建物のなかにいるとなぜか落ち着かない。次から次へと車を飲み込み、吐き出す姿をみていると、生活にあったさまざまな襞をきれいに削り取る洗車マシンのような不気味さを覚えた。
 生活は環境との相互作用である。住宅の間取りをよくLDKで表すが、実際に住み始めると、LとDが逆になったり、個室がDの役割を兼ねたりする。環境と行動は絶えず関係が変化しており、多くの建物ではそのためのフレキシビリティがあり、それにより生活に襞ができ、個性がでる。
 ショッピングモールはというと、お金を効率的に使ってもらえるように、人の行動ができる限りコントロールできるように環境設計されている。多くの店先を通らざるを得ないような動線。駐車場からのびるたくさんのエントランスは住宅からドアツードアのまるで家にいるようなお気軽な(思考が止まった)空間を演出する。ゾーンは、消費内容により非常に細かく分けられ、子どもたちも年齢によって輪切りにされており、自分と関係のないゾーンに入ると極端に居心地が悪くなる。休憩スペースにあるソファや椅子は、家族や友人の少人数グループが快適に話せるように並べられる。一見するといいように思うが、たまたま出会った客同士が立ち話をすることなどを避けているともとれる。グループが大きくせず、家族単位、友人単位で買い物をしてもらえるように設計されている(消費単位が小さくなるほど、たくさんの物が売れるから)。
 ショッピングモールは、商店街モデルを採用しているようだが、行動のコントロールを組み込んだために、街にあった多様性や偶然性が許容されにくい。便利で人気があるので、それがあること自体は悪くないのだが、社会を包摂する環境をどこかで補わなければならないように思う。

 

浅海恵美子/白滝素子

カフェオーナー、美術館のもぎり/お抱え料理人
大阪空堀
Books & Cafe LOW

水辺のまちに棲む

 ある夏の朝の通勤途中、JR環状線が天満を出て、ちょうど大川に差し掛かる高架下の路地で、壁一面真っ青な大輪の宿根朝顔に覆われた、古い民家に目を奪われました。これも自転車通勤の恩恵かも・・・。私たちの住む都島からLOWのある中央区まで、ペダルを漕ぎ続けて約40分。驚くなかれ、そのくらいの圏内なら、市内の大抵の目的地まで自転車で、というのが、私たちの周りではごく日常なのです。自宅のあるマンションを出るとすぐに、大川が目の前に現われ、それに続く沿道が、この地域の自転車ライフに大きく一因しているのでしょう。
 「川はその土地の魂のリズムである」と、ある歌人の言葉にありましたが、人間の生活空間の拡大によって、たくさんの川が蓋されてしまった大阪。
 それでも、沿道の木々や風の匂いに季節の移り変わりを感じながら、川面のきらめきを眺めて走っていると、ここが町の中とは思えないくらい。「水の都、大阪」を体感する一瞬でもあります。とても贅沢なことなのに、身近にありすぎて、毎日の生活の中でゆっくり味わうのを忘れてしまっているものは、他にもいっぱいあるのではないかという気になってきます。
 さてこの「朝顔の家」は、あとで聞くところによると、上を走る車両の窓からも、乗客が携帯を取り出してシャッターを切るという、隠れた名所だそうです。ここに佇むと、高架下でありながら、すぐ横を流れる川の浄化作用のせいか、車両の轟音さえ、快いリズムを刻んで聞こえてくるから不思議です。朝顔の家の住人も、車両の音をBGMに威勢よく咲き誇る花を愛で、川の流れに癒されて、この水辺のまちの生活をひそかに愛し続けているのでしょうか。
 そろそろ、朝顔も、日差しの和らぎとともに、夏の勢いをゆるめはじめる頃になりました。来年までしばらくお預けなのが、ちょっと寂しいけど、この水辺のまちで、また新しい秋を発見するとしましょう。

(白滝素子)

デルタに鎮座まします日本最初の映画スター尾上松之助。

野村雅夫(MASAO)

大阪ドーナッツクラブ代表、
ラジオDJ
京都、ローマ
大阪ドーナッツクラブ

パッチギ! ~鴨川デルタ その2~

 夏の後ろ姿を速足で追いかけても、すんでのところで手が届かない。一年を通して散歩にはもってこいの鴨川デルタだが、初秋の雰囲気もまたよろし。西も東も川に挟まれ、松林を縫うようにして歩けば、のろまな蝉の急いた鳴き声とマツムシの身体寸法に似合わぬボリュームの鳴き声、夏と秋がステレオで耳に飛び込んでくる。ふと足休め。凛々しく京の空を見上げる者あり。「目玉の松ちゃん」として親しまれた日本映画黎明期のスター、尾上松之助の銅像である。
 この場所でクライマックス・シーンが撮影された最近の日本映画と言えば、即答する読者も多かろう。井筒和幸の『パッチギ!』(2005年)だ。ただでさえ熱かった68年を舞台に、府立高校と朝鮮高校の学生たちが恋に喧嘩に音楽に鮮やかな火花を散らし、エネルギーの非合理的な使い方が胸を打つ群像劇だった。鴨川は大事な局面で何度か登場する。恋心を表現しようとして水嵩のある流れを果敢に渡るかと思えば、恋に破れかけてギターを橋の欄干で叩き割る。名曲『イムジン河』が度々挿入されることもあり、観客は川をシンボリックに捉えるよう促されていく。地の利を生かした、こうした映画的な演出の手際の良さが、物語にみなぎる過剰なまでの情動を巧妙に整理し、一級のエンターテイメントとしてまとめあげている。
 東の柳と西の出町。朝鮮高校と府立高校のヤンキーたちがそれぞれの岸辺に集結して対峙し、戦国絵巻さながらに、怒号を発して川へ突進。鴨川の水とバカ者たちの汗の飛沫が四方八方に乱れ飛び、やがてデルタの突端には、「パッチギ」の意味通り、「突き抜けた」青春のアマルガムが誕生する。
 ギョロリとした眼で見得を切り、まだまだ歌舞伎の影響から脱皮できていなかったスクリーンを所狭しと駆け回ってチャンバラを繰り広げた尾上松之助。その映画初出演から今年で百年。月を跨いで紹介した2本の鴨川デルタ撮影作品は、松ちゃんの目玉にどう映ったのだろうか。

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