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スタジオOJMMが企画編集する連載コラム、7年目となる2009年は、「建築ノオト2009」(全12回)。

第3回、3月号の内容は

カフェオーナー、浅海恵美子/白滝素子の「古きものと新しきものの狭間で」
大阪ドーナッツクラブ代表、野村雅夫の「京都のメガシアター姿を消す ~東宝公楽~」
建築家、南野優子の「ちょっとした違和感」
豊田高専建築学科助教、加藤悠介の「現場の質感」

4人の執筆者が、それぞれ違った視座から建築周辺の話題を綴るコラム、お楽しみください!

 

浅海恵美子/白滝素子

カフェオーナー、美術館のもぎり/お抱え料理人
大阪空堀
Books & Cafe LOW

古きものと新しきものの狭間で

 空襲を潜り抜け、築70年の今も、昔と変わらぬ佇まいに、尚いっそう月日の重みが味を醸し出して建っているアパート「トヨクニハウス」が、自宅から数分のところにあります。実はここから数メートルいったところに、初めて「LOW」の前身ともいえるカフェを開くことになったのですが、この「トヨクニハウス」のあるロケーションというのが、開業の大きな決め手でした。この辺りが始めてのカフェのお客さまにとっても、トヨクニハウスはやはり目を惹く建物で、カフェの来店をきっかけに、空き部屋を探されたお客様もいらっしゃったほどです。
 老朽化という問題を抱えながらも、この古い建物に愛着を持ち、大切に守る居住者の暮らしが、四季折々に咲く庭先の花からも感じ取れます。どんな方が住んでおられるのだろう?という好奇心を強く駆りたてられ、いつか居住者のどなたかが、カフェのお客様として訪れて下さるのでは、という期待もありましたが、実際には集会所としての利用と、高齢者のお住まいが中心で、2年後には、4棟のうち1棟が、無粋にも取り壊されるという憂き目にあい、その後も中を伺い知る機会もないままに、この場所を離れることになりました。 先日、しばらくご無沙汰だったこのアパートの前の道を通りがかったら、驚いたことに、真向かいにあった古い幼稚園の園舎が、カラフルな近代建築に建て替えられていたのです。きっと、新園舎の斬新なデザインと構造は、子供心と親心までをもくすぐる仕掛けになっているのでしょう。
 現在の「LOW」が位置する空堀の町でも見られるような古民家再生や、近代ビルの建ち並ぶ都心でのレトロビルの温存などが、しばらく謳われていますが、道を挟んで建つ、このふたつの建物のコントラストは、不思議な景色の一角を作り出していました。 年月を経た建物自身が放つオーラの中で建つアパートと、町の空気を取り込むように建つ奇抜なモダンビルの間で、ちょっと戸惑いながらシャッターを。
(白滝素子)

慌てて撮影に駆けつけると、『感染列島』がかかっていた…。

野村雅夫(MASAO)

大阪ドーナッツクラブ代表、
ラジオDJ
京都、ローマ
大阪ドーナッツクラブ
エフエム京都αステーション

京都のメガシアター姿を消す ~東宝公楽~

 小粒でもキラリと光る山椒系のミニシアターを紹介して、映画都市京都の今の魅力を探ろうじゃないかと先月順調に口火を切ったところで、あろうことか歴史ある大粒の「メガ」シアターが3月末で閉館するという凶報が飛び込んできて、耳を塞ぎたい思いに駆られた。その名は東宝公楽。ファサードにびっしりと嵌め込まれた茶色いタイルと、見晴らしについても用途についても疑問符のつく大小二つのバルコニーが何とも印象的なこの映画館は、三条河原町の交差点から京阪三条へと東へ入ったところにその巨大な体躯を誇示している。スクリーンは一つながら、座席数509と京都市内では最も大きく、1962年開業という伝統も魅力だった。終幕の理由は、施設の老朽化に伴う耐震工事に莫大な費用がかかることにあるようで、東宝系の作品はシネコンTOHOシネマズ二条で上映場所が確保できていることが、追い打ちをかけた。4月には解体工事が始まり、跡地にはホテルの建設が予定されている。やはり映画館というのは他の施設に転用しにくいのだろうか。街のランドマークとしても役割を果たしてきたはずの老舗映画館は、日本建築界の十八番であるスクラップ・アンド・ビルドの餌食となる率が高いような気がするのは僕だけだろうか。
 繁華街の真ん中で半世紀の長きにわたって愛されてきた公楽。隣町の大津で育った僕にとっても、そしてこの古都で青春を謳歌した両親にとっても馴染みの場所であり、親子二代にわたってお世話になった唯一の映画館だった。存在感のある建物は待ち合わせにも重宝し、僕なんかは友人と落ち合うまでの退屈しのぎに手描きの映画看板を見上げて時間を潰した記憶もあるだけに、古き良き映画文化の灯がまた一つ消えるのかと、一抹の寂しさがこみあげる。
 来月は本来の趣旨に戻り、京都の映画文化にその個性で貢献する映画館として、公楽に匹敵する座席数と長い歴史を擁し、名画座として独自の道を闊歩する祇園会館に足を運ぶ。

 

南野優子

建築家(設計事務所勤務)
大阪

ちょっとした違和感

 寒さが続く3月のある日の朝、ちょっとした違和感を覚えた。いつもと同じ景色をみているはずなのに、何かが少しだけ違う。そうか、気温は今まで通りの寒さなのに、日差しだけがいつもよりも少しだけ強いのだ。少々まどろっこしいプロセスを経て、春が近づいていることに気が付いた。
 ちょっとした違和感を覚えることは、それによって何かを考えるきっかけとなり、掘り下げて物事に向き合うことになる。そして、今までとは違ったものの見方に気づいたりする。まさにアートである。
そんなちょっとした違和感を持てるような建築を想像してみる。光を例に挙げて考えてみよう。太陽の光は季節や時間、天候によって刻々と表情を変える。光そのものの実体を見ることはできないが、光が当たっているものを見ることによってその光の性質を認識する。窓から直接入り込む光、カーテンを通して優しく入り込む光、窓から入った光が反射して天井を照らす光。また、人工の光にも同じことがいえる。間接照明をつかって天井を照らすことによって、太陽の光のもとに見えるものとは全く異なった空間の奥行き感をもたらす。照らされた天井の素材や色によっても異なった表情を見せる。さらに、夜間のライトアップによって見える建築は、自然光ではありえない姿でありまさに違和感を覚えるものである。
 ここでは光という環境的一面に焦点をあててみたが、そうした場合、その建築は様々な環境の変化を感じるための媒体のようなものになるといえるだろう。そんな周辺の環境を受け止めて、時にはフィルターをかけることによって、その環境の性質をおさえたりも際立たせることもできる。そんな仕掛けがあると、ちょっとした違和感を見つける楽しみが増えるに違いない。

戸建て住宅を改修した宅老所

加藤悠介

豊田高専建築学科助教
愛知県豊田市
加藤(悠)研究室
豊田工業高等専門学校 建築学科

現場の質感

 ここで言う「現場」とは工事現場のことではない。住宅や施設など様々な空間において人々の生活が展開されている場のことを指す。
 僕は大学院で認知症高齢者のための施設環境について研究してきた。調査に行った施設では、例えば同じ老人ホームでも、それぞれにかなり違った現場があった。そこではお年寄りの生活が幾重にもオーバーラップすることで特有の雰囲気が醸成されており、この現場の質感を捉えずして生活環境の良し悪しは判断できないことを学んだ。もちろんこれは学校内で行う講義や演習では学べない。
 さて、豊田高専は高等教育機関であるので5年生には卒業研究があり、ゼミ配属は4年生後期からである。4年生にはプレゼミと称して専門領域に関連した調査研究を囓らせることができる。僕の研究室のプレゼミ課題は、学生がいいと思う場所(施設でもオープンスペースでもかまわない)を見つけ、実際に訪れ、現場の質感を体験してくることにしている。プレゼミではこういう予備知識ほとんどなしで現場に飛び込むという大胆な試みができるので、たいへんありがたい機会だと思う。
 赴任してまだ2年なのでプレゼミは2回しかないが、それなりにいい場所を見つけることができている。学生たちはそれぞれ自分のアンテナに引っかかった宅老所や子育て支援センターなどに行き、現場の質感に触れたのではないかと思う。とりわけ、住宅を少し改修しただけの宅老所や子ども園に行った学生たちは、そこでとても生きいきと過ごす人々に驚いていた。建築が計画と違う用途で使われたとしても現場の質は高められる。むしろ住宅からの用途変更に限れば積極的に推進した方がよいのではないか。現場に行くことで建築計画の限界についても考え始めてくれる。ただし、建築計画が全く役立たずで、勉強しなくてもよいことにはならないことも口を酸っぱくして教える必要がでてくるのだが。理論と現場の両方で建築計画なのだよと。

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