オーストラリア留学してみた。



オーストラリア、メルボルンにあるRMIT大学(メルボルン工科大学)の大学院に留学した。
2000年〜2001年のこと。





海外旅行にも行ったことのなかった自分だが、ロータリー財団というところから、奨学金がもらえることとなり、行ってみようか、と。

メルボルンについて暫くしてから、他の奨学生たちと会う機会があった。
キャンベラで、ロータリー財団の大きな集まりがあった時。

皆、ドレスとか着てくるような、映画ちっくなパーティ。
で、奨学生で集まって席につこうとした時の話。

どうやら、ロータリーの人たちが、間違って、奨学生たちのテーブルに先に座ってる。
何せ、こちらはお金をもらってる身なのだから、「間違ってますよ」って、言いづらい。

どうする?

と皆がマゴマゴしてると、奨学生の1人、アレックス(ドイツ人、女)が、

「アタシが言ってどけるから、ついてきなさい。ガイズ!」

と。
ハイ、と、すごすごと、ついてく、自分たちガイズ。



こういうパーティを「ボール・パーティ(Ball Party)って言って、英語では、例えば楽しかった時に、
I had a ball.
なんて言ったりする。パーティじゃなくても。

こういう表現は知ってたんだけど、ボール・パーティがどんなものか知らなかったから、そういう意味でも、こういう雰囲気やら文化を体験できたのは、よかった。

今なら、文化を知った上で言える。
I had a ball in Canberra.
と。(ちょっと古っぽい表現らしいけどね。)



自分が住んでた寮には、全部で10人弱が住んでた。
ちょうどいいサイズだったし、偶然に、メンツもよかった。

自分はこの寮で、3セメスター(学期)を過ごした。
で、セメスターごとに、寮の住人は入れ替わってく。
大家さんが、「小さな国連」みたいな寮にしたかったらしく、色んな国のメンバー。

ここで、色んな国の文化も知ったし、英語以外の色んな言葉を習った。
もち、英語に関しても、アメリカ英語とオージー英語の違いとか、色々とね。

今思えば、着いてすぐに偶然入ったこの寮が、留学での最高の出会いだったかなあ。



で、この賑やかな寮には、ちょくちょく、近所の猫まで顔を出してた。

この常連猫に名前を付けよう、となった時、オージーのバフィが言ってたこと。

「TVドラマに因んで、あだ名は"ネイバーズ(ご近所さん)"ね。
Neib…, neigh…あれ?
"ネイバーズ"の綴り、忘れちゃった。
何かおかしい?
ネイティブだって、英語の綴りを忘れるでしょ?」



さて、この寮の大家さん。
髪の毛がピンク。
全盛期のシンディ・ローパーみたいな感じで、ちょっと怖い。
で、サメの研究で博士号を持ってて、大学で先生してるって知って、さらにビックリ。
まさに、「So Unusual」。

そんな大家さん、ある日の昼過ぎにやってきて、「いい音楽ね」と言ってきた。
ちなみにその時は、テンションを上げようと、B'Zを聴いてた。

自分は、普段は洋楽を聴く。
英語の勉強をし始めてから、音楽は洋楽、映画は洋画、手帳も英語で、って感じ。
が、海外にいる時とか、たまに懐かしい邦楽を聴きたくなる時がある。

で、とにかくこの時は、B'Zをかけてた。

「ああ、ごめん。ボリューム下げようか?」
「いいえ、もっとボリューム上げてちょうだい。もっと大きく!」
と、大家さん、B'Zでかなりノリノリ。
「BAD COMMUNICATION」の英語版で、ちょこっとナレーション(”I guess I love you”のクダリ)があるのが、ハイになれていいみたい。

「大音量のBAD COMMUNICATIONで、シンディ・ローパー風のおばちゃんがシャウト」っていう、バブルまっさかりな状況だった。

21世紀のメルボルンで何をやってんだろ、って思いながら。





寮のメンバーでは、週末には、外によく遊びに行った。
オーストラリアン・フットボールの観戦とか。



自分たちでボールを蹴りに、公園にも行ったりした。
メルボルンには、大きな公園がたくさんあるから、こういう遊びがしやすい。



夜は、カジノとか、バーに。

オーストラリアでは、18歳から酒が飲める。
で、年齢チェックがあるんだけど、アジア系の自分なんかは、よく止められた。
年齢を証明するものがなくて、店に入れなかったこともあったなあ。







近くのセント・キルダ、って海に遊びに行ったり、とにかく、寮のメンバーは仲がよかった。



週末に、交代でご飯を作った時期がある。
自分は、「すき焼き」や「おでん」なんかを作った。
「スシ」以外の和食を、ってことで。(スシ屋は、そこらじゅうにある。)

で、次の週末には、例えばデンマーク料理だったり、メキシコ料理だったり、って感じ。

このメキシコのシンシアには、数々の伝説がある。
とにかく、自分の世界を持ってる子だ。

で、このシンシアが、メキシコ特製のゼリーを作ってくれた。

3時間ぐらい待って、やっと完成!

と思ったら、完成品はスゲー硬くて、ちょっとした凶器・・・

どうやら、「ゼラチン1パック」の大きさが、メキシコとオーストラリアで違ったらしい。

この「ゼリー」でキャッチボールをしてたら、シンシアが怒って「もう作ってやらないぞ!」と。

それを聞いて、一同、ホッと安心してみたり。





「オーストラリア留学してみた。」ってタイトルなのに、学校の話をまだ書いてない。

メルボルン工科大学の大学院では、社会科学(環境と計画)を専攻した。
途上国の問題や、環境問題、都市計画、など。

で、授業に行くと、出席者は、大きく2つに分かれてる。
30代・40代ぐらいのオージーと、20代後半の留学生。
日本の大学院だと、大学を卒業してすぐに院生、ってパターンが多いから、こういう光景はちょっとビックリ。

先生と学生の関係も、日本とは違うしね。
「チャールズ、ここは、もうちょっと説明してほしいんだけど。」
みたいな感じで、生徒が先生に話しかけたり。



授業の数は少なくて(週に3コマとか)、事前に読んでこないといけない本の量が、多い。

だから、図書館や芝生なんかで、読書をしている学生がウジャウジャいる。
まあ、自分もそんな中に混じってたわけだけど。



とにかく痛感したのは、語学(英語)をやっててよかった、ってこと。
何事も、基礎が大事。
赤木キャプテンが言ってたとおりだ。

読み書き以外に、壁に向かって1人で会話の練習したり、客観的にはかなりキモいこともやってたけれど、こっちの留学で役に立った。

もちろん、いくらやっても言葉にはキリがないけれど、あんまり困ったという記憶はない。
うん、「俺は間違ってはいなかった。」
これも、赤木キャプテンが言ってたとおりだ。



大学院修了までに、授業の内容で学んだことは色々ある。

でも、それ以上に、日本の教育システムと違ったシステムを体験できた、ってことが大きかった気がする。
違う世界があることの発見。

海外旅行に行ったこともなかったけど、パスポートを取り、国際便に乗って、到着の1週間後には大学院の授業を受けていた。

今考えるとかなり無謀なことをしてるなあ、と思う。
が、当時は何も知らない分、そんなことができたんだろうな。

「留学」しか意識してなかったけど、実際には、大学にいる以外の時間で、自分は大きく変わった。

きっと、今は意識もしてないところに、新しい世界が、まだあるんだと思う。



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