寝袋・ヒッチハイクで日本を旅してみた
九州編
寝袋とヒッチハイクの旅をしたのは、4月から5月。
夜行バスで、朝に長崎スタート。
それから、佐賀、福岡、大分、宮崎、鹿児島、熊本、と一回りして、再び福岡から本州へ。
ちなみに、この夜行バス以来、関西に戻るまで、ずっとヒッチハイク。
鎖国中も海外への窓だった長崎は、色んな顔を持ってる。
中国の影響が強い寺もあれば、教会もある。
大浦天主堂は、日本で唯一の、国宝建築の教会。


長崎から、最初のヒッチ。
A3のスケッチブックにマジックで行き先を書いて、路肩に立つ。
で、ちょっと恥ずかしいんだけど、一応、親指も立ててみる。
「止まってくれるんかな?」と思ってたけど、すぐに一台が止まってくれた。
その車に走っていくと、運転してた兄ちゃんたちが嬉しそうに第一声。
「カメラはどこ?」
どうやら、TV番組か何かと思ったらしい。
確かに、当時はヒッチハイクをする番組、流行ってた。
で、有田焼きの街を通って、次は湯布院。
湯布院までは、就活中という兄ちゃんが乗せてくれた。
しかも、「就活の用事で日田まで行くから途中まで」って乗っけてもらったんだけど、話が盛り上がって、結局湯布院まで連れてってくれた。
ありがたい。

大分から宮崎へ入る。
で、高千穂へ。
高千穂は、神話の世界。
雨が降ってたこともあって、余計にそんな印象を受けた。
宮崎では、宮崎が発祥の地らしいってことで、チキン南蛮を食べる。
これは、ヒッチで乗せてくれた兄ちゃんがおごってくれた。
しかも、この兄ちゃんが都城まで乗せてくれた上に、「よかったら泊まってけよ」と言ってくれた。
当時、「来るオファー拒まず」状態だったので、喜んでユックリさせてもらう。
鹿児島では、知覧に行った。
知覧には、昔の武家屋敷がある。
で、大戦中には特攻機地があった場所で、今はその記念館がある。
詳細は知る由もないけれど、20歳前の子が特攻前に親に宛てて書いた手紙とか、やっぱ重い。

で、熊本の八代へ。
この辺りで、ヒッチは20回ぐらいになっている。
かなり、コツが分かってきた。
1) 車の流れを読む
極端な例えをすると、大阪から東京へ行きたいとすると、大阪の西で待っていても仕方ない。
大阪の東側で、しかも、行き先を「名古屋」とかにして、「乗り換え」を考えると、止まってくれる可能性は高い。
これって、すごく単純だけど、地元の人の通り道とか、意外と分かりにくい。
後半の方は、乗っけてくれた人に、「次はどこそこに行きたいんだけど、どの道路だと止まってくれ易いかなあ?」とか聞いてた。
2) 車を止めやすい場所でやる
当たり前だけど、車がたくさん走ってたら、止まりたくても止まれない。
カーブ曲がってすぐの場所に立ってる、とかも、ジックリ見てる余裕ないからダメ。
ほどほどに車が通って、見通しがよくて、車を止めやすい。
意外と、こういう場所を見つけるのが難しかったりする。
こうのを楽しんでやれそうで、危険もあるって承知なら、ヒッチはオススメかも。

北上して、博多へ。
夜になって、一台の車が止まってくれた。
彼らはミュージシャン。
何かの番組で、ジャニーズ系の某バンドが覆面バンドでトーナメントに出てたんだけど、それに勝ったバンド。
で、彼らが、「路上で今から歌う」と言う。
構わないと言うので、一緒に路上ライブする。
彼ら曰く、博多には、先輩たちが築いた伝統があって、ほろ酔いのおっちゃんたちがお金を置いてってくれるらしい。
ある程度聞いてもらった後、長渕剛の「乾杯」をやると、お金を置いてってくれるらしい。
なるほど、博多やもんね。
こんなミュージシャンたちと時間を過ごすのは面白かった。
料理を作るっていう条件で泊めてもらって、博多で予定よりユックリした。

ヒッチハイクの話をしてるとよく聞かれるのが、「どんな人が止まってくれるの?」ってこと。
もちろん、曜日・時間帯とか場所にもよるし、自分のケースでも、ホントに色んな人のお世話になった。
朝早くに移動する時には、長距離トラックの運転手のおっちゃんとかが多かった。
一緒に「やっぱ、さゆりちゃんが最高やなー!」とか言いながら、熱唱してた。
若い兄ちゃんらとは、夢を語ってみたり。
行楽シーズンには、家族にも合流した。
「今日は天気がいいから、家族で出てきたんだ。行き先は決めてないから、兄ちゃん、好きな場所言いな!」
とか。
タク代わりやん。
ちょっとビックリした。
他には、「書いてる字が綺麗だったから、思わず止まってしまった。いつもは止まらないんだけど。」
って言ってくれたお爺ちゃんもいた。
島根での話。
「浜田」って地名を書いて、路肩で立ってた。
ある夫婦が、車で通り過ぎた。
5分ぐらいしてから、おっちゃんが言ったらしい。
「今の子、浜田君と会えたらいいなあ。」
って、そんな人探しなわけないでしょ、っていう良識あるおばちゃんのツッコミにより、
「まだいるかなあ」
と、引き返してきてくれた。
色々なことがあったけど、ホント、道の上でいい人たちと出会えてよかった。
つづき 山陰編
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